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アメリカ人の起業家がいかにロシア(そしてヨーロッパ)の最高峰を征服したのか
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2019年に初めてロシアを訪れた際、リチャード・バーガンダーは、エルブルス山の凍った頂上を目指すスカイランニング大会に参加したいと思った。彼は若い頃から山岳Xスポーツに挑戦し、日本からケニヤまで多くの国際大会に参加してきたことから、カフカスにあるロシア-そしてヨーロッパの-最高峰を征服するということに心を奪われた。
エルブルス山を夢見て
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エルブルス山を登ると言うその魅力は長年わたしを惹きつけ、惑わしてきた。標高5,642メートルのこの山はヨーロッパの最高峰である。初めてロシアでモスクワとサンクトペテルブルクに訪れた後に訪れたいと熱望していたこの北カフカスがわたしを招き寄せたのだ。そこで思い切って、毎年5月に開催される国際スカイランニング競技会、レッドフォックス・エルブルスレースの2023年大会に参加しようと決めたのは、2022年のクリスマスの時期であった。
10年以上もXスポーツのプロアスリートとして活動し、2014年に引退したが、その後も定期的にファストパッキング、ハイキング、トレイルランニングなどで体は鍛えていた。その上で1か月間のトレーニングを行って、体力に自信が持てるようにし、大会の主催者側から招待状をもらいロシアのビザを申請した。地政学的な問題が起こっていることから多少の心配をしていたが、手続きは意外にもスムーズに進んだ。
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わたしが申請した3年間有効の数次観光ビザは数日間で発行され、ロシアのミネラーリヌィエ・ヴォードィ(エルブルス山に最も近い空港)に飛んだ。この驚くほど広大なこの地方を尊敬すべき親切な地元に人々と車で進むのはとても楽しかった。
ロシアの多くのアスリートたちは、この大変な時期にロシアを訪れたわたしの勇気を讃えてくれ、税関や入国審査の職員たちはレースでの幸運を祈ってくれた。この地方での滞在中に感じさせられたのは、共同体の意味と一体感で、それは、ロシアで様々な文化的背景を持つそれぞれの民族が何千年も調和をもって共存してきたことの結果なのである。
位置について・・・、用意スタート!
5月5日(金曜日)、わたしは、この大会で最初のレース、標高2,450メートルのアザウ・グラーデをスタートし、標高3,450メートルのミール駅がゴールの標高差1,000メートルを登りきるとても難易度の高い「バーティカル・キロメートル」に参加した。わたしは1時間22分6秒で走り切り、結果は92位であった。このレースのタイムが2時間未満であったので、日曜のスカイマラソンに出場する権利を得た。
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この「バーティカル・キロメートル」レースは急坂や長々として登りを持つすばらしいコースであった。気温も穏やかで、スタート時はおよそ摂氏1度だったが、ゴールのミール駅に近づいたときは氷点下3度まで下がっていた。
わたしが即座に理解したのは、わたしが行ったトレーニングはこの自然が過酷で、競争が超激しいこのレースには十分ではなかったということだが、レース中ずっと多くのアスリートが励ましてくれ、そのスポーツマンシップは類まれなものだった。
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ゴール・ラインを通り過ぎた時、わたしは感極まり、何人かのスタッフに抱きしめられた。それは決して忘れることのない気持ちの高ぶった喜びの瞬間であった。すべての人の素晴らしいサポートがわたしやすべてのアスリートに最高の結果をもたらしてくれたのだ。
高山の夜
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一日体を休めた後、標高3,880メートルにあるガラバシ-ボーチキ(樽)として知られるベース及びサミット・キャンプに移動し、スカイレースの前夜を過ごした。もともとは、スカイマラソンに参加する予定であったが、アザウ・グラーデではなく、ガラバシを出発するスカイレースに変更した。ともにエルブルス山頂がゴールであるのだが、悪天候のため変更したのである。
スタート前夜の午前3時に、主催者側が安全性の懸念を発表し、両レースとも頂上ではなく、標高4,550地点のパスツホフ・ロックスまでしか登らせないことに決定した。参加者はそこでUターンしてガラバシ-ボーチキでゴールするのだ。
ガラバシでの夜は、ユニークで記憶に残る経験であった。エルブルス山と北カフカス地方の風景はすべての方向に果てしなく連なる山また山だ。風はひと晩中強烈に音を立てて吹き、早朝に目を覚ますほどだった。しかし、それ以外はよく眠れた。
吹雪の中のスカイレース
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5月7日(日曜日)、起床したのは午前5時ごろであった。天気は悪化しており過酷な状況であった。わたしたち全員がとても驚いたが、まだ多くの者はコースのより高所ではどんな状況であるから理解していなかった。スタートして間もなく、降雪はひどくなった。
Uターンする標高4,550メートル地点から数百メートルの場所では、山の状況はブリザードのようになっていた。スタート時点の気温は氷点下5度であったが、それはパスツホフ・ロックスのあたりでは氷点下12度にまで落ちていた。
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この最悪の天候のため、Uターン・ポイントは「運用」が停止され、高地担当審判は安全性を考慮してルートを閉鎖するという厳しい判断を強いられた。時速50キロの強風、目を開けてられないほどの雪、ほぼゼロの視界、雷鳴、稲妻、爽快な体験と怖ろしい体験、それを両方経験することができた。
その最悪の気象状況により、わたしはサングラスを通して幻想を見始める瞬間があった。コースに立てられている赤旗や他のアスリートの幻を見たのだ。このような不気味な感覚にもかかわらず、我々アスリートは、全員が安全に戻れるように、かたまって、お互いに目をやりながら動いた。わたしは2時間25分48秒のタイムで49番目にゴールした。このスカイレースはわたしにとって決して忘れることのない冒険であり、チャレンジであった。
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リチャード・バーガンダーはプロフェッショナル・サービス会社の設立者および代表である。彼をフォローするならこちらから>>