冬の大ノヴゴロド、おすすめの過ごし方(写真特集)
1.リュリコヴォ・ゴロディシチェ
生神女福音教会の廃墟の内部。
最初のノヴゴロド公、そしてリューリク朝の祖であるヴァリャーグのリューリクが住んだ都市であると、年代記に記されている。リューリク朝は1598年までルーシを統治した。
862年、スラブとフィン・ウゴルの諸族は内乱を鎮めるべく、リューリクを公に推した。これが、ルーシが国家としてスタートした契機とされる。
リュリコヴォ・ゴロディシチェは、スカンジナビア起源の考古学遺物の発掘点数から推測するに、東ヨーロッパで最も栄えた都市の1つだったと考えられる。しかし、建造物のうちで今日まで残っているのは、14世紀に建てられた生神女福音教会の遺跡のみである。
リュリコヴォ・ゴロディシチェは11世紀頃には、新たな都市ノヴゴロド(文字通り、新しい都市、の意)の郊外となっている。
2.ノヴゴロド・クレムリン
街の中心であり、ユネスコ世界遺産にも登録されているノヴゴロド・クレムリン。このクレムリンは別名、デティネツとも呼ばれる。子供を意味する語根が含まれるが、由来は、一説によれば、ドルジーナ(親兵)の下級兵(デェーチと呼ばれた)が住んだこととも、貴族の子供達が住んだこととも言われる。
当初は木造の要塞だったが、15世紀にノヴゴロド共和国がモスクワ大公国に併合された時、イヴァン3世の命によって、石造りの城壁が築かれた。ノヴゴロドのクレムリンは、モスクワのクレムリンとほぼ同時期に、イタリアの最先端の建築家たちによって建設された。ノヴゴロド・クレムリンは他の歴史的建造物や博物館とともに、ノヴゴロドの博物館保護区として国によって保護されている。
3.ソフィア大聖堂
1045年に建立された、ロシア最古級の石造りの正教会聖堂。内部には、12世紀のイコン「聖母のしるし」、同時代のフレスコ画の一部、古いイコノスタシスが保存されている。
中央のドームにある十字架に注目すると、十字架の上に鉛の鳩がいるのが分かる。伝説によると、1570年にイワン雷帝によるノヴゴロド虐殺を目撃した鳩が、恐怖のあまり石化したと伝わる。鉛の鳩は、この事件を記念するために取り付けられた。
4.ロシア建国一千年祭記念碑
ロシア国家の理念を表す、唯一無二の記念碑。1862年、アレクサンドル2世の命により建てられた。像に現わされているのは、リューリクからプーシキンまで、歴史を物語る129人の姿である。興味深いことに、ノヴゴロド市民への配慮から、ここにイワン雷帝は描かれていない。記念碑、ソフィア大聖堂、そしてノヴゴロド・クレムリンは5ルーブル紙幣の図柄に採用されている。
5.ヤロスラフ宮廷後と市場
ヴォルホフ川の対岸に、ノヴゴロドの第二の歴史的中心地がある。かつてヤロスラフ賢公の宮廷があり、市場として賑わった。市場は、ハンザ同盟のおかげでヨーロッパとの交易により栄えた。交易所のアーケードやニコロ・ドヴォリッシェンスキー聖堂(1113年)などの古い寺院も残る。
イリイナ通りで見逃せないのは、救世主顕栄教会。内部には14世紀の天才、フェオファン・グレクのフレスコ画が残されている。
フェオファン・グレクはコンスタンチノープルからモスクワまで40近い教会や聖堂のフレスコ画を描いてきたが、教会内部に作品が現存しているのは、ノヴゴロドのみである。
6.ヴィトスラヴリツィ
木造建築の野外博物館で、ノヴゴロド近郊に位置する。
1960年代半ばにオープンしたこの博物館に、遠隔地の村から16~20世紀の古い教会や農家、小屋などが移築された。おかげで、こうした建造物は消失を免れた。ヴィトスラヴリツィ野外博物館は、古い時代のロシアの村にタイムスリップしたかのような気分にさせてくれる。古の農家や商家を覗き、小屋やバーニャの暖め方の違いを見比べ、人々が食事をした場所や、眠った場所、働いた場所などを見て回れる。白樺の樹皮で作った、子供の玩具も展示されている。
運が良ければ、地元の人気者、住み着いている猫のクセニヤがガイドしてくれるかも。
7.文字の博物館
ノヴゴロドには1200点を超える、11~15世紀の樹皮の文書が残されている。一般の人々の書いた恋文や、契約書、法的な処理の記録である。悪口が書かれた文書まで残っている。こうした文書はノヴゴロド博物館保護区の本館や、文字の博物館、ヤロスラフ宮廷の展示室など、ノヴゴロドの複数の博物館で見ることができる。