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ロシア皇帝の宮殿の中でももっとも豪華なペテルゴフについての5つの事実(写真特集)
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1. ピョートル1世は「ロシアのベルサイユ」を作ろうとした
北方戦争で、ピョートル1世はスウェーデンからネヴァ川とフィンランド湾の周辺の領域を手に入れることができた。そして1703年に自らの帝国の新たな首都となるサンクトペテルブルクを創建し、1714年には、フィンランド湾の南岸に郊外の屋敷であるペテルゴフの建設を始めた。ペテルゴフとは文字通り、「ピョートルの宮殿」という意味である。
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ピョートル1世のアイデアは、ペテルゴフには宮殿を作り、そこに噴水のたくさんついた庭園を設け、フランスの国王たちの宮殿である本物のヴェルサイユに勝るほど美しく豪華なものにするというものであった。
2. ユニークな噴水のシステムが作られている
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ペテルゴフの「真珠」であり、代名詞でもあるのが、2021年に300周年を祝った素晴らしい噴水とそのユニークなシステムである。
ピョートル1世は、ポンプを使わないで噴水を動かそうと考えた。そこでロシアの技師ワシリー・トゥヴォルコフが途切れることなく、水を出すことができる方法を考案した。そしてそのために、特別なダム、水門、池を建設し、さらにグランド・カスケードに水を送るため、長さ24キロメートルの運河を設けた。
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グランド・カスケードはもっとも壮大な噴水で、2つの階段、洞窟があり、数多くの彫刻で飾られている。そこから噴水の道が海に向かって伸びている。
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これ以外にも、本物の傑作と言えるのが「獅子」、「チェスの丘」、「サムソン」、「トリトン」などである。ちなみにこの宮殿・庭園アンサンブルの中には150以上の噴水がある。
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ペテルゴフには面白い「いたずら」の噴水がいくつかある。そんな一つが、ピョートル1世自身も創作に参加した「ソファ」。ベンチに近づき、近くにある石を踏むと、噴水が出るという仕組みになっている。現在このアトラクションは子どものためのものになっているが18世紀初旬には、ピョートル自身も、貴族の紳士や婦人に向かって突然水が噴き出すのを見て、楽しんだ。
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3. 大宮殿はピョートル1世の娘の時代にバロック様式で建てられた
大宮殿は、ペテルゴフのもっとも中心的でもっとも重要な部分である。宮殿は湾岸線に沿って300メートルにも及び、下の庭園とその噴水の上にそびえている。宮殿の裏には上の庭園がある。
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当初、宮殿はもう少し控えめなものであったが、18世紀にピョートル1世の娘、エリザヴェータ・ペトローヴナがその建物を当時流行っていたバロック様式で建て替えた。これに協力したのが、イタリア人建築士バルトロメオ・ラストレッリである(ツァルスコエ・セローの冬宮を設計した人物)。19世紀にも皇帝たちが、増築したり、新たなホールを作ったりして、宮殿の外観を変えた。
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宮殿は、彫刻、浅浮き彫り、装飾がふんだんに使われていた。内装はさらに豪華絢爛で、金箔が溢れていた。
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宮殿は皇族たちの住居ではなく、皇帝たちは夏の間にたまに訪れ、主にここで楽しいイベントを行った。19世紀、大きな祝日のときには、庭園には一般の人々も入ることができ、人々は帝国と皇帝の偉大さに感動したものであった。
1839年にニコライ1世が毎年開いた豪勢なパーティに出席したアドルフ・デ・キュスチン侯は、ペテルゴフの宮殿と噴水について、次のように書いている。「自然のテラスの中に、平地ばかりの国の中の山に匹敵するような高さで作られた宮殿を想像してほしい。平坦な地形のこの国では、わずか18メートルの高さでも地平線がほぼ果てしなく広がる。この素晴らしいテラスの麓に、素晴らしい庭園が、祝日のために灯りをつけた軍艦が並ぶ海まで開けている。
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エカテリーナ2世の時代になると、チェスメンの間が宮殿の重要な場所となった。露土戦争におけるチェスメンの戦い(1770年)でのロシア艦隊の重要な勝利を記念したものである。そこでホールには、戦争をテーマにした絵画シリーズが飾られている。
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4. ペテルゴフは複数の宮殿でできている
すべての宮殿、庭園、公園がある敷地全体の広さは414.2ヘクタールにおよぶ。ペテルゴフは大宮殿だけではない。この宮殿の西側には、1720年代に建てられた客用のマルリ宮殿がある。池の水面に建物が映り、空中に浮かんでいるように見えるよう作られている。
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大宮殿の東、フィンランド湾岸にあるのが、1階建ての「オランダの家」、モンプレジール宮殿である。モンプレジールとはフランス語で「わたしの喜び」という意味で、ピョートル1世のお気に入りの宮殿であった。
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モンプレジール宮殿に近接して、さらに後に建てられた建物がある。これは、将来のエカテリーナ2世(当時は皇位継承者ピョートル3世の妻であった)のために作られた1階建てのエカテリーナ館である。その後、エカテリーナは女帝となり(夫を倒して)、これに劣らぬ豪華な郊外の宮殿―ツァルスコエ・セローに引っ越した。
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これらの建物以外にも、現在は周辺にある、ピョートル以降の皇族らが自身や家族のために建てた宮殿・庭園アンサンブル(アレクサンドリヤ、オラニエンバウム、ストレリナなど)がペテルゴフ博物館に含められている。
ニコライ1世の妻、アレクサンドラ・フョードロヴナのために建てられた小さな宮殿「コテージ」はその周辺の公園とともに、彼女の名にちなんで、アレクサンドリヤと名付けられている。
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隣接するオラニエンバウムには、ピョートルの側近アレクサンドル・メンシコフの宮殿がある。
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このオラニエンバウムで、18世紀半ば、ピョートル3世は自身のために「面白い」ペテルシュタット要塞と小さな宮殿を建てた。
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近くには、エカテリーナ2世の「個人のダーチャ」、また真の珠玉の建築物「中国の宮殿」がある。
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このほか、パリからヴェルサイユ宮殿に向かう道のように、ペテルブルクからペテルゴフへの道は、もっとも高位の貴族たちのダーチャが並ぶ「入り口へと誘う長い道」となっている。
5. 第二次世界大戦時にはほぼ崩壊
1917年の革命後、ボリシェヴィキはペテルゴフに博物館を置くと決定した。1941年9月にはドイツ軍に占領され、1944年の1月にレニングラードの封鎖が解除されるまで、ペテルゴフは継続的に砲撃を受けた。大宮殿はほとんど廃墟と化した。また庭園や噴水も甚大な被害を受けた。
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いくつかの彫刻の噴水は前もって避難させることができたが、残った多くの噴水は崩壊または消滅した。占拠者たちは大量の木を燃やし、また退却の際には庭園の敷地内に地雷を設置した。またナチス・ドイツは、巨大な噴水「ネプチューン」を含むペテルゴフの多くの財宝を奪い去った。しかし、1948年にこの作品は発見され、元の場所に戻されている。
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ペテルゴフでは封鎖が解かれた後すぐに復興作業が始まり、1945年の夏には来訪者を受け入れるようになった。完全に整備が終わり、噴水が動くようになったのは、1950年代の末である。宮殿・庭園の修復作業は現在も部分的に継続されている。
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