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1950年代のソビエト映画10選
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1. 『真の友』 1954年
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モスクワ郊外に住むサーシカ、ボーリカ、ワーシカの3人は、いつか必ずいかだに乗って大きな川を旅すると誓った。30年後3人はすべてを捨てて、昔の夢を実現するために集まる。
『真の友』はソ連で最も受け入れられた、人気のあるコメディの一つだ。しかし、映画関係者のわがままのせいでこの映画は世に出ない可能性があった。映画関係者は立派な大人がそのような幼稚なことをすべきではないと考え、いかだをクルーズ船に置き換えるよう要求した。幸いなことに当初のアイデアはなんとか残すことができた。
2.『マクシム・ペレペリツァ』1955年
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マクシム・ペレペリツァは、ウクライナの村出身の、陽気で機知に富んでいるが非常に怠け者で自堕落な男だった。隣人たちは皆、彼の悪ふざけに悩まされていた。マクシムが軍に徴集されると、村人たちはこれで彼がまともな人間になるだろうという希望をもつ。
1949年に実用化されたカラシニコフ自動小銃が初めてスクリーンに登場したのが映画『マクシム・ペレペリツァ』だった。
3. 『ルミャンツェフ・ファイル』 1955年
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運転手のサーシャ・ルミャンツェフは、犯罪者たちが自分に対して大規模な詐欺を企てていることに気づかず、上司の命令で日常業務である荷物の配送作業を行っている。最終的に荷物は盗まれ、ルミャンツェフは逮捕され、彼は自分の無実を証明するために奔走するはめになる。
このソ連最初の探偵映画の一つはタリンで撮影され、当初その犯罪ネットワークの首謀者はエストニア人だった。しかし当局はこれが民族的憎悪を煽るとみなしたため、主要な悪役をエストニア人のふりをしたロシア人にする必要があった。
4. 『カーニバル・ナイト』 1956年
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文化会館の職員たちが新年の仮装舞踏会の準備をしていると、館長代理に任命されたセラフィム・オグルツォフがプログラムに口を出す。オグルツォフは陽気な出し物が気に入らないので、それを退屈な標準的・官僚的なプログラムに換えようとする。もちろん職員たちはこれに反対する。
公開される前の『カーニバル・ナイト』は、関係者が試写を見た後、この映画は完全な失敗作だと評価された。このため、ミュージカルコメディの初公開は宣伝されることもなく静かに行われた。誰もが驚いたことに、この映画は観客に支持され驚異的な成功を収め、興行収入トップになっただけでなく、「ソビエト・スクリーン」誌によると1957年の最優秀映画としても認められた。
5. 『ザレチナヤ通りの春』 1956年
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ロシア語とロシア文学の教師であるタチアナ・レフチェンコは冶金工場の労働者のための夜間学校に就職する。しかしこの仕事は簡単なものではなかった。教育大学を卒業したばかりの新任教師であるタチアナはまったく経験がないだけでなく、生徒たちも彼女と同じ年齢か彼女よりずっと年上だったからである。
「ザレチナヤ」という通りの名前は脚本家のフェリクス・ミロネルによって考案された。この映画公開が大成功となった後、ソ連全土でこの名前の通りが現れ始め、現在では 30 以上の都市に存在する。
6. 『鶴は翔んでゆく(戦争と貞操)』 1957年
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ボリスとヴェロニカは結婚を控えており、雲一つない素晴らしい未来が彼らを待っているはずだった。しかし突然勃発した戦争により計画はすべて崩れ、彼らの気持ちが試されることになる。
俳優たちは撮影中、一切の労力を惜しまなかった。ヴェロニカ役を演じたタチアナ・サモイロワは結核を患ったが、仕事を中断することはなく、ボリス役を演じたアレクセイ・バタロフは顔面に大きな怪我をし、手術台に上ることになったが、優秀な外科医のおかげですべてが無事に終わった。
『鶴は翔んでゆく』はカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した唯一のソビエト長編映画となった。
7. 『静かなるドン』 1957年
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ミハイル・ショーロホフの同名小説を基にした3部構成の長編映画は、ロシア内戦中、親戚や親しい友人たちが敵味方に分かれたドン・コサックの困難な運命を描いている。物語の中心は、最終的にどの道が正しいのかを見極めようと、ある陣営から別の陣営へと行ったり来たりするコサックの司令官グリゴリー・メレホフである。
『静かなるドン』は、悲劇的な事件の渦中にいた人たちがまだ当時そこに住んでいたソ連南部のコサック地域で撮影された。コサックたちは映画の重要な指南役として俳優たちに本物のコサックのことを教えた。
8. 『高所』 1957年
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この映画は、鉄溶鉱炉の設置に従事するソ連の高所作業者たちの困難な日常に焦点をあてている。彼らは毎日命を賭けて高い所へ登ると同時に、私生活における様々な問題も解決しなければならない。
高所でのシーンは光学合成という手法を用いて撮影された。俳優はスタジオで撮影され、ロケ地で撮影された背景と組み合わされた。
同時に、シーンの一部はドネプロジェルジンスク(現在はウクライナのドネプロペトロウシク州カメンスコエ市)にある冶金工場の鉄溶鉱炉の実際の建設現場である約40メートルの高所で撮影された。現場にはスタントマンが待機していたが、主役の俳優たちはすべてのスタントシーンを自分たちで演じることを望んだ。
9. 『人間の運命』 1959年
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アンドレイ・ソコロフは戦争により自分の家族を奪われた。爆撃で妻と二人の娘が殺害され、勝利直前に赤軍将校だった息子も戦死したのだ。アンドレイの人生は壊滅的であったが、彼は偶然同じように家族を失った少年ワーニャに出会う。アンドレイは、自分が孤児の父親の代わりになることができるのだから、死ぬのはまだ早いと考える。
『人間の運命』は、後に小説『戦争と平和』の映画化や壮大な『ワーテルロー』で有名になったセルゲイ・ボンダルチュクの監督デビュー作となった。また彼はこの映画で主役を演じている。 この映画は「ソビエト・スクリーン」誌のアンケート調査で1959年の最高の映画となり、チェコスロバキアとオーストラリアの国際映画祭でも受賞した。
10. 『誓いの休暇』 1959年
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アレクセイ・スクヴォルツォフ二等兵は対戦車ライフルでドイツ軍戦車2両を撃破し、その褒美として母親に会うために家に帰ることが許可された。映画はその道中のさまざまな出来事についての話だが、映画の冒頭でこの兵士は勝利まで生き残ることができなかったとナレーションが入る。
『誓いの休暇』はソ連内外で大成功を収めた。この映画はカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞し、アカデミー賞の「脚本賞」にもノミネートされた。