マレーヴィチの『黒の正方形』をめぐる110年の問い
美しさ、親しみやすさ、理解のしやすさ──そうした要素を一切排したこの作品が、いまだに最も愛される作品のひとつであることは驚くべきことである。ボッティチェリの「ヴィーナス」にも劣らぬ人気を誇る。その理由はどこにあるのか。それは、シンプルさと神秘性が共存しているからだ。
この作品に描かれているのは、黒と白、幾何学的な単純さ、そしてわずかな「ずれ」だ。しかし、当初この作品の神秘性に気づいた人は少なかった。多くの鑑賞者は、まるで絵を描いたこともない素人が描いたようだと否定的だった。しかし時間が経つにつれ、そこには複数の重要な特質があることが理解されてきた。
最も重要なのは、この作品が「絵画」と「非絵画」の狭間に位置しているという点である。伝統的な絵画は、イメージ、すなわち認識可能な何かを描くものだった。都市、人間、夢、花、風景──それらは私たちの目に映る世界の再現である。
だが、マレーヴィチは非具象芸術へと踏み出し、『黒の正方形』には具体的なイメージを描かなかった。彼の友人であるエル・リシツキーは、この作品を「記号」と捉えたが、音符や文字、道路標識のような固定された意味を持つ記号ではなく、解釈の余地を残す「意味を持たない、あるいはあらゆる意味を持ちうる記号」だと評した。
当初マレーヴィチは、この黒い四角形を「原初的な形」と位置づけ、そこからすべての形(円、十字、チェス盤)が生まれると語った。1915年の展覧会「0.10」でこの作品群を発表し、それを「シュプレマティズム」と名付けた。
のちにマレーヴィチは、この正方形が色彩や形、構造における「節約」を体現していると再解釈した。彼の弟子たちはそれをソビエト社会における合理的労働の象徴とし、グループのシンボルとして袖章にこの図形をあしらった。
晩年、マレーヴィチはこの絵について「永遠」や「無限性」を語った。それを見つめる者は誰しも、ある種の秘密と向き合う。彼にとって、かつて古代の人々が神の姿に見いだしたもののように、この黒、その閉ざされた形のなかに、言葉では捉えきれない神秘が宿っているのだ。
つまり『黒の正方形』は、決まった意味を伝えるものではなく、鑑賞者それぞれの想像力を喚起し、独自の解釈を求める作品である。絵画という形式でありながら、その意味においては、20世紀以降の芸術の潮流──コンセプチュアリズムやミニマリズム──を象徴する存在であり続けている。