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アルカジイ&ボリス・ストルガツキーの兄弟:ロシアを代表するSF作家であるわけは

イズメリエ・F、レニングラード、1990年
8月28日は、ソ連のSF作家アルカジー・ストルガツキーの生誕100周年だ。なぜソ連国民は、ストルガツキー兄弟の作品を読み、愛し、諳んじてさえいたのか。ロシア・ナビが解説を試みる。

 アルカジイとボリスのストルガツキー兄弟は、頭文字をとって「ABS」と呼ばれた。前者が兄で、後者が弟だ。兄は英語と日本語の通訳・翻訳者であり、弟は天文学者。兄は、エモーショナルで衝動的、そして惚れっぽかった。弟は、落ち着いた性格で、一人の女性を愛し続けるタイプ。まさに「波と石、詩と散文、氷と火」(*アレクサンドル・プーシキンの韻文小説『エフゲニー・オネーギン』からの引用)。しかし、二人の共作なしには、ソビエト文学史はイメージできない。

 二人は実際、いっしょに執筆した。アルカジイはタイプライターに向かい、ボリスは部屋の中を歩き回った。「我々二人の仕事は、ほとんど常に議論の連続だった」と、ボリス・ストルガツキーは後に振り返っている。「私の考えでは、二人での共同作業では、常に議論すべきだ。そうでなければ、何もうまくいかない。我々にはルールがあった。相手――共著者――が提案したフレーズに同意できない場合は、自分の案を提示する。これを繰り返し、あらゆる選択肢が尽きるまで続けるのだ。最悪の場合、くじ引きをして、負けた方は不平を言いながら運命に身を委ねることになる」

 こうした共同作業の結果、傑作が続々と生みだされた。『紅い雲の国』、『正午:22世紀』、『神様はつらい』、『月曜日は土曜日に始まる:若い科学者のための物語』、『世紀の貪欲なもの』(天国の最終円環)、『そろそろ登れカタツムリ』、『みにくい白鳥』、『収容所惑星』、『路傍のピクニック』(ストーカー)、『滅びの都』、その他の1960~80年代の大ヒット作だ。ストルガツキー兄弟はなぜこれほど愛読されたのか?

1.単なるSFを超えていた

 「物理学者」ボリスと「詩人」アルカジイの創作コンビは、共作に思想的・哲学的な深みを与えた。二人は、単なるSF小説を書いたのではない。彼らが書いたのは、「未来の歴史」であり、彼らは、知識、進歩、善意を信じ、明日は今日よりも良くなるはずだと考えていた。二人の予測が現実のものとなったかどうかは定かではない。しかし、次の事実は疑いようがない。すなわち、賢く、教養があり、知的な読者の一世代が、彼らの作品で育ち、同じ信条をもち、同じ原則に基づいて人生の道を築いた、ということだ。

2.本格的な文学作品

 「我々は、ウェルズ、チャペック、コナン・ドイルを熱烈に愛していた。そして、読んで面白いと感じる作品の書き方が分かったように思えた」。ボリス・ストルガツキーは、インタビューで語った。

 アルカジイとボリスは、芸術評論家ナタン・ストルガツキーの家庭に生まれた。父は、息子たちが幼い頃から良質な文学への嗜好を育んだ。しかも二人は、外国語の知識を活かして、世界文学の名だたる傑作の多くを原文で読むことができた。

3.壮大な作品世界を構築

 ストルガツキー兄弟の作品のうち、約十作は、何らかの形で「正午の世界」と関わっている。この世界では、宇宙開発と世界共産主義の勝利が、ファシズム、全体主義、非暴力などについての思索や、その他の、20世紀後半の思想的潮流と交錯している。

4.風刺と批判

 「異論こそが我々の文学の最大のスパイスだ。それがなければ、我々の文学は味気なくなり、甘ったるくなる。あるいは、どうにも口にできないものに成り下がる。ファンタジーに限らず、あらゆる文学がそうだ。しかし、現実は重層的で多面的であり、権力への異論だけが唯一の核となるわけではない――概して現代文学はそれに支えられているが」。ボリス・ストルガツキーはこう述べた。この作家コンビのユニークさは、一部作品は、あまりにアクチュアルだとして、検閲によってお蔵入りになった一方で、他の作品はベストセラーになったことだ。

5.ユーモアセンス

 ストルガツキー兄弟の作品は、知的で面白いだけでなく(彼らはデュマやスティーヴンソンに通じる、手に汗握るプロットを好んでいた)、しばしばユーモラスでもある。例えば、彼らの小説『月曜日は土曜日に始まる』や、それを原作とした映画『魔法使いたち』の脚本は、よく引用されている。

 「残念ながら、実人生において、愚か者は、おとぎ話におけるよりももっと愚かだ」

 「目標を見つめ、自分を信じ、障害に気づかないように!」

 「狂気であろうと恋であろうと、医学においては同じだ」

 「今日では形式に大きな…内容が与えられている(*形式に大きな意義が与えられている、と一人が言おうとしたところ、もう一人が、このように混ぜ返した。形式偏重の傾向を皮肉っている)

 「我々はまだ、透明人間になれる帽子を探している!」

 これらのフレーズは、今でもロシア人の間で使われている。