ロシアで見られる建築様式、総まとめ
ロシア史の一大転機となったルーシの洗礼は、建築様式が人々に与えた印象と無縁では無かったという意見さえある。ロシア初の年代記である『原初年代記』は、ウラジーミル大公の使者たちの言葉として、コンスタンチノープルのソフィア大聖堂での礼拝の様子を伝えている:
「我々は天にいたのか、地上にいたのか分からぬ。なぜなら、地上にはかような景色も美しさも存在しないからである…」。
10世紀当時、ソフィア大聖堂の高い塔と輝くモザイク、自然光を取り入れた抜群の採光は人々の度肝を抜き、奇跡かと思わせるほどのものだった。
古代ギリシャ様式
ペディメントや列柱、カリアティード、男像柱などといった要素は、古典建築のシンボル的存在である。ロシアでは、こうした古代ギリシャ様式の建築遺産の1つがクリミアにある。ケルソネソス・タウリケ博物館保護区は、紀元前5世紀に創建された都市の遺物を今に伝えている。
古代ローマ様式
この時代の建築には、新技術を活かした構造が目立つ。古代ローマ人はコンクリートを広く用い、アーチや、アーチを連続させたアーケードを建築するようになった。ロシアにおけるこうした建築の代表例が、ナルヴァ凱旋門である。この門は、1812年の祖国戦争の勝者を華々しく出迎えるために建設された。
ビザンティン様式
ビザンティンの文化は、古代ローマのものを受け継いでいる。当時の建築家は古代ローマ人の優れた成果を継承しつつ、変化を加えてさらに進化させた。ルーシでも、ビザンティン様式にならったドーム屋根と内接十字式の教会が建てられるようになった。その最古の例の1つとされるのが、ヴェリーキー・ノヴゴロドのソフィア聖堂である。
ロマン主義
11~12世紀の西欧および中欧では、どっしりした支持壁を持ち、少数の幅の狭い窓と、高い塔を備えた教会が盛んに建設された。こうしたロマン主義建築のロシアにおける例は、ウラジーミル、ガーリチ、スーズダリといった古い都市に遺されている。例えば、スーズダリ近郊のキデクシャ村に12世紀に建立された、白壁の聖ボリスとグレブ教会。あるいは、ウラジーミル市のドミトリエフスキー聖堂などである。
ゴシック様式
ゴシック建築は、尖ったアーチや尖塔、尖頭窓、ステンドグラス、大量の彫刻と彫像が特徴。現在のロシアには、かつて東プロイセン領だったカリーニングラード州に本物の中世ゴシック建築が残されている。古い城塞の遺跡、ルーテル教会や礼拝堂などである。ロシアの建築家がゴシック様式に注目したのはやや遅く、18~19世紀頃。ネオゴシック様式の良い例が、ペテルゴフのゴシック様式のチャペル「アレクサンドリヤ」である。
中世ルーシ建築
ルーシが封建的割拠期にあった12世紀、独自の建築の潮流が生まれ始めていた。ノヴゴロドでは大掛かりな大聖堂ではなく、丸屋根1つの、外部の装飾が殆ど無い小ぶりの教会が建立されるようになる。中でも最古級のものの1つが、アルカジ村近くの、1179年建立の生神女福音聖堂である。プスコフでは丸屋根が1つの四角形の教会が、その傍には多スパンの鐘楼が建てられた。ウラジーミル・スーズダリの建築流派は精緻で繊細な、ある意味貴族趣味ともいえるもので、ロシアロマン主義と呼ばれることもある。
テント形屋根の教会
ロシアの建築にとって、16世紀は極めて重要な意味を持つ時期で、この頃に登場したのがテント形の屋根を持つ教会だった。塔を思わせる丈の高い建築に急斜面のテント形の屋根がつき、その先端にタマネギ形の小さな丸屋根が乗る。最初期のテント形屋根付きの石造建築とされるのは、カローメンスコエの主の昇天教会と、ウラジーミル州アレクサンドロフ市の至聖三者教会(現在は生神女庇護教会)である。
バロック様式
モスクワでは早くも1680年代には、他とは一線を画す凝ったバロックスタイルの教会が出現している。中でも有名なロシアン・バロック様式の代表作とされるのは、ピョートル1世の娘エリザヴェータ女帝の時代のものである。ペテルブルクの冬の宮殿、ペテルゴフの大宮殿、ツァールスコエ・セローのエカテリーナ宮殿などである。
ロココ様式
バロック様式を引き継いだのがロココ様式だが、より軽快で優雅になっていった。繊細な渦巻模様や貝殻模様、舞う天使像が多用された。ロココ・スタイルは結局ロシアに定着しなかったが、サンクト・ペテルブルク近郊のオラニエンバウムには中国宮殿とカタリナヤ・ゴルカ・パヴィリオンという2つの建築遺産がある。
古典主義
古典主義建築はシンメトリー、抑え目のフォルムと簡素な装飾が特徴。ロシアにはこうした建築が多くの都市に残っているが、中でも有名なのはサンクト・ペテルブルクのタヴリーダ宮殿、モスクワのパシコフ邸であろう。
折衷主義および歴史主義
19世紀当時、ふたたび歴史遺産に注目した建築家たちによって新古典主義、新ロマン主義、ネオゴシック、ネオビザンティンなど多様なスタイルが生まれた。時には様々なスタイルのモチーフが1つの建造物群に融合することもあった。その好例の1つが、モスクワのアルセーニー・モロゾフ邸(別名「貝殻の家」)である。
モダン様式
19世紀末~20世紀初め頃に登場したモダン様式は、鉄筋コンクリート、ガラス張りファサードなどの新技術のおかげで、建築家たちに高い自由度をもたらした。不思議な曲線やオーナメント、モザイクによる植物モチーフの模様、ファサードの塑像や壁画、造形のアシンメトリーなどが流行した。ロシアにおけるモダン様式の代表作が、モスクワのメトロポール・ホテルである。
モダニズムとアヴァンギャルド
1910年代は、造形美術の転換期であった。多くの建築家が歴史的な継承を拒否し、多くの新たな方向性が生まれた。最初の新たな転換の1つが、余分な装飾を廃して機能性を重視するという点にあった。建築家たちは鉄筋コンクリートで「新たな巨大な棟」を建設し、それらは滑らかなファサードと、帯状の窓、有効利用される平坦な屋根が特徴だった。
構成主義
1917年の革命後、建築史の新たな1ページを彩ったのが、構成主義である。必ずしも生活する上で便利とは言えなかったものの、ソ連社会の新たな特性を示した。建物の用途もまた、時代の風を感じるものだった。コミューンの建物、調理工場、文化会館などだ。構成主義建築の中でも傑作として名高いのは、ナルコムフィン(財務人民委員部)官舎、ズーエフ文化会館、ZIL文化宮殿、モスクワ市オルジョニキーゼ通りのコミューン住宅、サマーラ市のマスレンニコフ記念調理工場、サンクト・ペテルブルクのクシェレフスキー・パン工場などである。
「トリウムフ」スタイル(ソビエト・モニュメンタル古典主義)
スターリン時代、第二次世界大戦後のソ連の建築家たちは古典主義の遺産に回帰したが、その目指すべき目的には再解釈が加えられた。当時の建築は雄大かつ華麗で、円柱や塑像、壁画やソ連のシンボルで彩られている。その象徴的な建造物の1つが、星型のロシア軍中央アカデミー劇場と、雀が丘の国立モスクワ大学本棟であろう。
20世紀後半のソ連の規格建築
1955年、フルシチョフは建築設計における「過剰装飾」の撤廃を命じた。建物は規格に基づく経済合理性の高い建築手法がとられるようになる。これは住宅も公共建築(映画館、学校、病院等)も同様だった。こうした建築は、旧ソ連圏の人々には特にお馴染みで、ベッドタウンに乱立するいわゆる「フルシチョフカ」が代表格である。
ポストモダン
20世紀の最後の20年間、建築家たちは再び過去の様式にならいつつ、これを思いがけない形で利用した。そうした最初の事例の1つが、ゴールキ市のV.I.レーニン博物館だった。研究者は、ポストモダンの実験的建築の一例として、1980年代に建て替えられたヴォロネジ市の人形劇場「シュート」を挙げている。
最新の傾向
1990年代から2000年代にかけて、建築家は一度に多数の様式を組み合わせるようになった。ガラス面と金属を多用したハイテク建築、再構築されたフォルムの脱構築主義、前衛的な潮流の具現化といった傾向である。こうした建築の代表例が、モスクワ・シティの建築群だ。ザハ・ハディド設計によるシャリコポドシプニコフスカヤ通りのビジネスセンターは、脱構築主義の好例と言えよう。
「ザリャジエ」公園は、エコロジーと持続的発展にフォーカスした公共空間の一例である。また、現存建築の改築も目立っている。例えば2021年にかつての水力発電所を改築して誕生した文化会館「GES-2」がある。
2024年には、サマーラで長年の再建と改築の末、かつて調理工場だった廃墟が、トレチャコフ美術館の分館として再スタートし、地域の文化的中心地となっている。
「建築の読み方」を特集した長編記事の全編は、culture.ruサイト上でロシア語版が掲載されている。