GW2RU
GW2RU

生誕200年を迎えた風刺作家:ミハイル・サルトィコフ=シチェドリンの代表作5冊

ロシア・ナビ(写真:パブリックドメイン)
実は長い間、ロシアにこのような苗字の文豪は存在しなかった。それが現れたのは、その姓の持ち主が亡くなってからだ。

 二人の人物がいた。一人は成功した政治家・官僚ミハイル・サルトィコフ。もう一人はニコライ・シチェドリン。実は、サルトゥイコフは、シチェドリンという筆名で、風刺作家として活動していた。この二重性が、彼の伝記の重要なポイントだ。サルトィコフは、高官として国家体制を内側から研究し、シチェドリンは、作家兼ジャーナリストとしてそれを批判した。彼の作品の多くは今なおアクチュアルだ。我々は、その中でもとくに重要なものを思い出してみた。 

1.«История одного города»『ある都市の歴史』(1870年)

初版(1870年)の表紙、パブリックドメイン

 架空の都市グルーポフと、その奇妙な市長たちの歴史を描く。それを通して、作家は、権力(常に非理性的で残酷)と民衆(受動的で忍耐強い)の関係のモデルを描き出している。この都市は、世界のモデルであり、ロシアの縮図でもある。その空間には、自由主義と専制、無政府主義と秩序の追求といった両極端が交差する。しかし、あらゆる努力は結局のところ不条理に陥る。

2.«Господа Головлевы»『ゴロヴリョフ家の人々』(1880年)

小説初版の扉ページ、アレクセイ・スヴォーリン出版社、1880年 ― パブリックドメイン

 地主貴族ゴロヴリョフ家の破滅を例としつつ、怠惰と偽善の影響による貴族階級の衰退と人格の道徳的退廃を描いている。肉体の死に先立つ精神的な死を探求した長編小説だ。 

3.«Сказки»『童話』(1884年)

初版で童話が掲載された際の表紙、亡命新聞『オブシェエ・デーロ』(ジュネーブ)、1883年、パブリックドメイン

 シチェドリンの風刺の真骨頂が、簡潔で分かりやすい形で表現されている。作者自身も、「相当な年齢の子供向けのおとぎ話」と呼んでいる。

 動物の物語(「賢い小魚」、「熊の長官」)や民話(「一人の百姓が二人の将軍を養った話」、「荒くれ者の地主」)の体裁で、作家は、いわばロシア生活の百科事典を創り上げ、卑怯な俗物根性、官僚主義の愚かさ、支配階級の寄生、そして民衆の従順さを描き出した。

 1860年代、シチェドリンの童話が「当時のホットな問題」を暴露していたとすれば、1880年代、アレクサンドル3世の反動的な統治下では、強者と弱者の関係、そして権力の不変の本質についての寓話となった。童話のような単純な教訓はなく、むしろ簡単な結論を皮肉たっぷりに嘲笑している。 

4.«Пошехонская старина»『ポシェホニエ(愚劣な町の意味)の昔』(邦題は『僻地の旧習』、1889年)

死後に刊行された最初の単行本の扉ページ、1890年、パブリックドメイン

 農奴制時代の地主の生活と慣習を容赦なく描写した作品だ。本書は51章から成り、それぞれが個別の現象を扱っているが、中心となるのは地主貴族の農村での生活そのもの、つまり農奴制における関係性だ。

 それはすべての人を歪めてしまう。地主たちも(怠惰で残酷で迷信深い)、農民たちもだ(虐げられ、権利を奪われ、狡猾だ)。シチェドリンが他の作品で風刺した歪んだタイプはすべて、この「ポシェホニエの」(つまり愚劣で野蛮な)過去から来ている。

 ここで作家は、ツルゲーネフに異議を唱え、「貴族の巣」の黄金時代という神話を覆す。ロシアの地主貴族の生活を、暴力と道徳の崩壊に基づく地上の地獄として描いている。

5.«За рубежом»『国外にて』(1881年)

M・E・サルティコフ=シチェドリン[N・シチェドリン]全集、サンクトペテルブルク: M・M・スタスユレヴィチ印刷所、1894–1895年

 シチェドリンは、ヨーロッパ旅行記の形で、ロシアと西欧の生活様式を比較した。いずれも辛辣に批判されている。 彼は、欧州の俗物根性と無節操の政治も、ロシアの政治体制と国民性の特異さも、どちらも容赦なく暴露する。

 シチェドリンの西欧旅行(ドイツ、フランス、ベルギー)は、皇帝アレクサンドル2世が暗殺されロシアの反動が最高潮に達した劇的な時期になされた。リベラル派の憲法制定への希望は打ち砕かれた。旅行者の外見の下には、比較を通して社会問題の根源を理解しようとする分析家が潜んでいる。