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伝説的なソ連映画『鶴は翔んでゆく』を見るべき5つの理由

Photographers / Legion Media
このモノクロ映画は、「雪解け」を告げる「最初の燕」の一つとなった。

1.この映画は「パルム・ドール」を受賞した

Keystone-France/Gamma-Keystone / Getty Images

 これは、カンヌ国際映画祭の最高賞を受賞した唯一のソ連映画であり、撮影賞と主演女優に対する特別賞も受けている。この映画は奇跡と呼ばれた。戦争を前線ではなく銃後から、軍事的な英雄的行為ではなく道徳的試練の物語として描いたからだ。物語では、主人公の婚約者が前線へ行き、彼女は愛してもいないその兄と結婚する。しかし彼女は、なお婚約者の帰還を待ち続けている。勝利ののち、彼女は愛する人が戦死したことを知る…。

2.検閲が禁じた戯曲をもとに製作された

ソ連、モスクワ、1960年2月18日。映画「鶴は翔んでゆく」で「勝利」賞を受賞した映画監督ミハイル・コンスタンチノヴィチ・カラトーゾフと女優タチアナ・エフゲーニエヴナ・サモイロワ(右から左へ)、フランス大使館での授賞式にて。
ニコライ・ラフマノフ/TASS / Legion Media

 映画の原作は、従軍経験を持つ劇作家ヴィクトル・ロゾフの戯曲『永遠に生きる者たち』である。出版・文学総局は、この作品の刊行を拒否した。それでも、1956年にモスクワの劇場「ソヴレメンニク」がこけら落としに、『永遠に生きる者たち』を上演すると、この作品は話題になった。そこでミハイル・カラトーゾフ監督はロゾフに、戯曲をもとに脚本を書くよう依頼した。

3.雪解け期における最初期の映画の一つ

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 批評家たちは二つの陣営に分かれた。一方は、戦争期を題材とするこの作品が、「大きな人生上の問題の規模を、心の屈折や映画的効果という些末なものへと切り縮め、道を逸れている」として、監督を非難した。ニキータ・フルシチョフ第一書記は、愛を裏切った主人公に憤慨し、ヴェロニカを「堕落した女」とまで呼んだ。

 他方では、『鶴は翔んでゆく』は、建設現場や「スタハノフ運動」的な偉業などを不可欠の背景としない恋愛の物語を描き、映画に新たな一頁を開いたと考えられた(*スタハノフ運動とは、1930年代の生産性向上キャンペーンであり、第二次五カ年計画の際に生産ノルマを超過達成した労働者を範とした)。

 西側の批評も熱狂的だった。「ロシアはここで、文化の領域における人工衛星を打ち上げた。これは不幸な恋人たちについての、胸を打つ雄弁な映画だった」。同作のアメリカ公開後、米紙はこう書いている。

 女優タチアナ・サモイロワにとって、この役は出世作となった。画家パブロ・ピカソは彼女を「ロシアの女神」と呼んだ。ハリウッドのある映画会社は、ジェラール・フィリップがヴロンスキーを演じる『アンナ・カレーニナ』の映画化作品で、彼女を主役に招いた。しかしソ連指導部は、彼女を国外へ出すことを断固として認めなかった。

4.見事な撮影

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 ミハイル・カラトーゾフは撮影監督として出発した。おそらくそのために、『鶴は翔んでゆく』の製作中、彼と撮影監督セルゲイ・ウルセフスキーとのあいだには理想的なコンビネーションが生まれたのだろう。そのおかげで、映画で語られる私的な物語はまったく異なるスケールを獲得し、叙事詩へと変貌した。

 グレブ・パンフィーロフ監督は、まるで空中を舞っているかのような、この映画におけるカメラの自由な動きに感嘆し、撮影を奇跡と呼んだ。光と影の演出と相まって、このような表現力豊かな撮影は、信じがたい効果を生み出した。

5.多くの著名な監督に影響を与えた

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 ロシア映画の巨匠グレブ・パンフィーロフとセルゲイ・ソロヴィヨフは、『鶴は翔んでゆく』を見て映画監督になろうと決めたと認めている。

 クロード・ルルーシュも同じだ。1956年、彼はフランス共産党員の一団とともにモスクワを訪れ、ソ連の首都について映画を作るつもりだった。彼はモスフィルム撮影所にも入ることができ、そこでは当時、『鶴は翔んでゆく』が撮影されていた。カラトーゾフは彼に撮影済みのフィルムを見せ、さらに撮影現場で仕事をすることさえ許した。まさにそのとき、ルルーシュは映画監督になろうと決意した。のちに彼は、『鶴は翔んでゆく』を映画史上もっとも完成度の高い作品の一つと呼んだ。