西側ミュージシャンのソ連公演を振り返る(写真特集)
1.戦後、最も早い時期にソ連を訪れた西側ミュージシャンの一人が、イヴ・モンタンとその妻で女優のシモーヌ・シニョレである。1956年12月のことで、そのわずか1か月前にハンガリーで親ソ政権に反対する蜂起があったばかりであり、2人は最後まで訪ソすべきか悩んだ。
それでもモスクワ、レニングラード、キエフのコンサートは大盛況に終わった。イヴ・モンタンは工場の労働者の前や文化会館で公演した他、新年を迎える夕食の席ではフルシチョフ相手にソ連政治について論争まで交わした。
2.ソ連公演のレジェンドと言えば、ミレイユ・マチューである。
1967年にポール・モーリア・グランドオーケストラとともに初めて訪ソし、たちまち人気者となった。モスクワ、レニングラード、カザンでの公演の後、若い女性の間ではマチューを真似たヘアスタイルや服装が流行した。マチューはその後も頻繁にソ連・ロシア公演を行っている。
3.1971年、デューク・エリントンがジャズオーケストラを率いて訪ソ。
当時70歳になっていたジャズ界のレジェンドはレニングラード、ミンスク、キエフ、ロストフ・ナ・ドヌ、モスクワの5都市で公演を行った。どの都市でも1万人を超える聴衆が集まり、アンコールを繰り返すので4時間以上もぶっ通しで演奏することも度々だったと、エリントンは回想している。
4.1978年12月、当時もっとも人気のあったディスコバンドBoney Mがやってきた。
当時のチラシでは「カリブの島のアンサンブル」と紹介されていたBoney Mは10のコンサートを開催。外国メディアは、Boney Mのソ連公演を78年音楽シーンの最大のニュースと報じた。一方、Boney Mのメンバーにとって、ソ連の聴衆の控え目な態度は不思議に映った。当時のソ連人はまだ、コンサートで自らが歌ったり踊ったりするといった事に全く不慣れだったのだ。
5.1979年5月のエルトン・ジョンの公演は、一大センセーションとなった。西側のロックスターのソ連公演は、80年のモスクワ五輪を前に、開かれたソ連をアピールすることになると、政府は考えた。モスクワで開催されたコンサートの1つはBBC Radio1が生中継したが、これはソ連と西側の間では初のことだった。
レニングラードとモスクワで4回ずつのコンサートを開催したエルトン・ジョンは、自らのソ連ツアーについてドキュメンタリーも公開した。
6.1980年代半ば以降、ペレストロイカのおかげでソ連公演をする西側アーティストは格段に増えていった。
1987年7月、ビリー・ジョエルが訪ソし、トビリシでのコンサートを皮切りに、モスクワとレニングラードで3回ずつ公演。このようなロックコンサートは、ソ連人はそれまで見た事が無いものだった。
7.1988年、スコーピオンズはレニングラードで10回のコンサートを開催し、10万人以上もの観客を動員した。
翌年にはモスクワでも公演している。ソ連公演後、ボーカルのクラウス・マイネはスコーピオンズの代表曲の1つとなる「Wind of Change」を書いた。
8.ペレストロイカ期、ポップミュージックのファンにとっての最大のニュースが、Modern Talkingの元ソリストのコンサートだった。
トーマス・アンダースは1987年と1990年に訪ソ。当時を知る人々によると、チケットは平均給与並の100ルーブルという高額であった。もう1人のメンバーであったディーター・ボーレンは1989年に公演し、モスクワでミュージックビデオも撮影した。
9.1989年6月、ピンク・フロイドがワールドツアー「A Momentary Lapse of Reason Tour」の一環でモスクワ公演を行った。
オリンピックスタジアムで5回のコンサートを開催し、いずれも数万人のロックファンが詰めかけた。
10.西側ミュージシャンのソ連公演の集大成となったのが、1991年9月28日にツシノ飛行場で開催されたフェスティバル「ロック・モンスターズ」であった。
ソ連史上、最大規模のコンサートである。Pantera、Metallica、AC/DCといったビッグネームを筆頭に、多くのバンドが登場した。コンサートは無料で、来場者数は60万から150万人と推定されている。