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ロシアの新年の祝いの席、その変化の歴史

映画『イワン・ワシーリエヴィチ、バック・トゥ・ザ・フューチャー』のワンシーン
レオニード・ガイダイ/モスフィルム、1973
昔から、ロシア人はごちそう好き。宴会好きにロシアならではの豪快さが加わった結果、さまざまなメニューが生まれた。

 私達のご先祖はクラーガという、麦粉のカーシャ(かゆ)を大変好んだ。これはライ麦粉と麦芽、ガマズミの実から作る料理である。麦芽をお湯で溶いて1時間ほど浸した後、倍量のライ麦粉を追加。この生地をこねてから、25~28℃程度まで冷まし、ライ麦パンの皮を使って発酵させる。発酵した生地は密閉容器に入れて、余熱した窯に8~10時間置く。クラーガは口当たりの良い甘酸っぱさが特徴で、風邪、神経系、心臓、腎臓、肝臓、胆石などの疾患に効くとされてきた。

 カルーガ生地も人気があった。ポヴィドロ(ジャムの一種)に似たデザートで、ライ麦の乾パンを砕いたものを2カップに対し、砂糖シロップ1カップを混ぜる。これにシナモン、クローブ、八角、カルダモンなどのスパイスを加える。

 ヤロスラフ賢公とウラジーミル・モノマフの頃の人気料理は、ツァーリ風コチョウザメのキノコ詰めであった。熱湯をかけてから魚の内臓と背骨を取り除き、身にレモンと胡椒をすり込んで、ペースト状にしたベリー類を塗る。腹部にポルチーニ茸と炒めたタマネギを詰め、動物の腱で縫い合わせる。その後、魚のブイヨン、乳脂、スメタナ、漬け汁、新鮮なハーブで作ったホワイトソースに浸して蒸し煮にする。

コンスタンチン・マコフスキー、『接吻の儀式』、1895年
ロシア美術館
コンスタンチン・マコフスキー、『ボヤールの婚礼の饗宴』、1883年
ヒルウッド美術館(ワシントンD.C.)

 新年を12月31日から1月1日かけて祝うよう布告したのは、ほかならぬピョートル1世である。当時、大晦日の夜は「気前の良い」夜と呼ばれ、貴族のための「大テーブル」だけでなく、平民のためにも様々な豪華な料理が用意された。この日のために建設された凱旋門のそばには食べ物の他に、ワインやビールの大樽も並べられた。新年を祝う帝室のテーブルのメインディッシュは、仔豚のそば粥添え、ザワークラウトもしくはリンゴを添えた焼きガチョウであった。家庭の宴会では、冷たい前菜としてハムと、ボイルドポークのニンニク詰めが供された。メインは野菜のシチー、ザリガニのスープ、ピロシキと層状のパテなどであった。殻を剥いたザリガニ、ウズラの塩漬け、カモの詰め物、チョウザメの新鮮な塩漬けなどはご馳走とされた。

 19世紀の前半頃、食卓の伝統は現代と比べてはるかに質素なものだった。貴族の家庭でさえ、キノコの塩漬け、キュウリ、カブのサラダなど、シンプルな前菜が多かった。とはいえ、焼き牝鶏、仔牛のフリカッセ、マスのワイン煮といった高級品もあった。フルーツボウルはオレンジ、洋梨、房のままのブドウなど、モスクワやペテルブルグの温室で冬季も栽培されていた果物で満たされた。

『健康でおいしい食事の本』の挿絵
「ピシェプロミズダート出版社、モスクワ、1939年

 19世紀後半ともなると、グルメな人々はキュウリウオ、イクラ、サーモン、チーズを好むようになったが、これらは当時流行のコニャックや欧州産ワインとも相性が良かった。

 19世紀から20世紀にかけて、清涼飲料やアイスクリームが特別な人気を博す。ロシアにはコーヒーやチョコレートが輸入されるようになり、伝統的なティータイムの代わりに、コーヒータイムに客を招待するのが最高のオシャレだった。

 20世紀目前の頃には、イワシ、ロブスター、アンチョビ、エゾライチョウ、七面鳥などが大晦日の食卓を彩るようになる。

 ソ連時代の大晦日メニューは質素で、丸くスライスされたソーセージさえ並んでいれば、豪華な部類であった。お祝い時の料理としては、茹でたジャガイモをメインに、ニシンに輪切りタマネギを添えたものが定番となっていった。1950年代になると肉や魚の煮凝り、毛皮を着たニシン、沿バルト産の油漬けイワシが登場する。オリビエ・サラダの人気も復活し、カニやエゾライチョウの代替としてドクトルスカヤ・ソーセージも定番となった。

*記事のロシア語版全文は、Culture.ruに掲載