第二次世界大戦におけるソ連水兵の3つの偉業

アーカイブ写真; Evgeny Khaldey/МАММ/МDF/russiainphoto.ru
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彼らは海と陸で勇敢に戦い、都市を守り、解放し、戦友を救うために自らの命を犠牲にした。

1.単独で敵部隊と戦う

アーカイブ写真 イヴァン・シヴコ
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 大祖国戦争(独ソ戦)の勃発後まもなく、1941年6月末に、ノルウェー駐留ドイツ軍は、ザーパドナヤ・リツァ湾に到達し、ムルマンスク方面への攻勢を開始した。

 これを阻止するため、ソ連艦隊は、湾西岸の敵陣後方に部隊を上陸させた。その中には、海軍歩兵イワン・シフコもいた。

 赤軍(ソ連軍)は、数週間にわたって激しい戦闘を繰り広げ、攻勢を食い止めることに成功した。ドイツ軍は、ムルマンスク攻略もムルマンスク鉄道の遮断もできなかった(アメリカの大量のレンド・リース法援助物資がここから流入していた)。8月2日、撤退が始まり、シフコは撤退を援護する部隊の一員だった。 

 突然、彼は、自分の部隊から切り離されてしまった。彼は、弾薬が尽きるまで約2時間戦い、敵兵が彼の陣地に近づくと、手榴弾で彼らとともに自爆した。

2.オリシャンスキー部隊の上陸と戦闘

アーカイブ写真 コンスタンチン・オルシャンスキー
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 1944年3月末、ウクライナ南部の、ドイツ占領下にあったニコラエフをめぐる戦闘が始まった。地上軍を支援するため、黒海艦隊は、同市の港に部隊を上陸させた。

 3月26日の早朝、コンスタンチン・オリシャンスキー上級中尉の率いる67人の兵士が密かに港に上陸し、敵の歩哨を殺害して、穀物倉庫の区域に防衛陣地を構えた。

 これらの海軍歩兵部隊は、数日間激しい抵抗を続け、700人近い敵兵を殺害した。彼らは、敵軍を足止めし、地上軍が街を突破するのを支援した。

 ニコラエフが解放されたとき、生き残ったのは負傷兵11人だけで、オリシャンスキーは27日の戦闘で戦死していた。この部隊のほぼ全員にソ連邦英雄の称号が授与された。また、1974年に発見された小惑星は、オリシャニアと名付けられた。

3.自分の命を犠牲にして船と戦友を救う

アーカイブ写真 イヴァン・ゴルベッツ
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 1942年春、イワン・ゴルベツ上等水兵は、セヴァストポリ防衛戦(クリミアの戦い)に参加していた。3月25日、砲撃が始まったとき、彼はストレレツカヤ湾の桟橋にいた。

 巡視艇の1隻で火災が発生し、船内の爆雷が爆発する恐れがあった。ゴルベツは、艦に急行し、爆雷を海に投棄した。炎上中の艇の乗員であるヴィクトル・ティモフェエフとワシリー・ジューコフが彼を助けた。

 ティモフェエフとジューコフは、燃料タンクの爆発で、ゴルベツは残っていた弾薬の爆発で、死亡した。水兵たちの自己犠牲のおかげで、大規模な惨事は回避された。

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