なぜソ連では綿花を「白い黄金」と呼んだのか?(写真特集)
金と同じく、綿花も非常に利益性の高い商品だった。ロシア帝国時代からソ連時代にかけて、綿花は国内の繊維産業にとって貴重な資源であり、さらにソ連期には重要な輸出用農産物となった。
綿花の栽培と加工は、中央アジアのソビエト共和国、特にウズベキスタンの経済の基盤を成していた。そして、その栽培や収穫の過程は非常に労力を要するものだった。そのため、綿の房の中身は、重労働によって得られる貴金属のように考えられ、「白い黄金」と呼ばれるようになったのである。
綿花は古くから中央アジアやコーカサス地方で栽培されてきた。これらの地域では気候条件が適しており、伝統的な灌漑システムによる灌漑農業が発達していた。革命期の混乱で一時衰退したが、ソ連時代に復興。ウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャンといった綿花栽培地域のみならず、ソ連全体の繁栄の象徴となった。そのため、「綿花」をテーマにしたプロパガンダポスターは、学校から都市委員会まであらゆる場所で見られたのだ。
綿花崇拝の文化についてもっと知りたい方は、ロシア国立東洋美術館で11月30日まで開催されている展覧会「白い黄金」へぜひ足を運んでみてください。