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なぜソ連では綿花を「白い黄金」と呼んだのか?(写真特集)

ヴァルシャム・エレミャン ポスター、「誠実に働け!」、ウズベキスタン、タシュケント、1930年
ロシア国立東洋美術館プレスサービス
金と同じく、綿花も非常に利益性の高い商品だった。ロシア帝国時代からソ連時代にかけて、綿花は国内の繊維産業にとって貴重な資源であり、さらにソ連期には重要な輸出用農産物となった。

 綿花の栽培と加工は、中央アジアのソビエト共和国、特にウズベキスタンの経済の基盤を成していた。そして、その栽培や収穫の過程は非常に労力を要するものだった。そのため、綿の房の中身は、重労働によって得られる貴金属のように考えられ、「白い黄金」と呼ばれるようになったのである。

 綿花は古くから中央アジアやコーカサス地方で栽培されてきた。これらの地域では気候条件が適しており、伝統的な灌漑システムによる灌漑農業が発達していた。革命期の混乱で一時衰退したが、ソ連時代に復興。ウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャンといった綿花栽培地域のみならず、ソ連全体の繁栄の象徴となった。そのため、「綿花」をテーマにしたプロパガンダポスターは、学校から都市委員会まであらゆる場所で見られたのだ。

作者不詳、ポスター「綿花の独立のために」、タジキスタン、スターリナバード(現ドゥシャンベ)、1930年代初期
ロシア国立東洋美術館プレスサービス
セミョン・マルト、ポスター「綿花の収穫を期限内に終わらせよう」、ウズベキスタン、1930年代
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ヴァルシャム・エレミャン ポスター、「誠実に働け!」、ウズベキスタン、タシュケント、1930年
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ウラジーミル・チェルヌィショフ(?)、ポスター「綿花のために開墾されたすべての土地は、バイ(地主)、妨業員、日和見主義者への一撃である」、ウズベキスタン、1931年
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アレクサンドル・ヴラジチュク、ポスター「コルホーズ(集団農場)」のためのスケッチ、トルクメニスタン、1932年
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ニコライ・コステンコ、ポスターのスケッチ、トルクメニスタン、1930年代
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オリガ・ソコロワ、ポスター「ソビエトの繊維にソビエトの綿を」ためのスケッチ、ウズベキスタン、1936年
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アレクサンドル・ニコラエフ(ウスト・ムミン)、ポスター「すべての男を綿摘みに!」のためのスケッチ、ウズベキスタン、1920年代
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アレクサンドル・ニコラエフ(ウスト=ムミン)、ポスター「すべての男が綿収穫に参加せよ」、ウズベキスタン、1930年代
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ミハイル・ライヒ、ポスター「綿収穫高を目指して、我らのスターリニスト運動」、ウズベキスタン、1936年
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ミハイル・ヴォロベイチコフ、ポスター「前線のための綿花」、ウズベキスタン、1942年
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コンスタンチン・チェプラコフ、ポスター「スターリン同志の指令を達成しよう」、ウズベキスタン、1949年
ロシア国立東洋美術館プレスサービス

 綿花崇拝の文化についてもっと知りたい方は、ロシア国立東洋美術館で11月30日まで開催されている展覧会「白い黄金」へぜひ足を運んでみてください。