ソ連とフィンランドのあいだで「冬戦争」が始まったいきさつは?
この武力衝突に先立ち、1938年以来、断続的に長い交渉が続けられていた。ソ連側は、もしソ連とドイツのあいだで戦争になった場合、ナチス・ドイツがフィンランド領を経由して攻撃を仕掛けてくることを懸念していた。ソ連政府は、フィンランド領内にソ連軍基地を置く協定を提案したが、フィンランド側は自国の中立的立場を理由にこれを拒否した。
交渉が山場を迎えたのは、1939年10月から11月にかけてである。ソ連は、レニングラード(現サンクトペテルブルク)からわずか30キロの位置に国境線があることは、同市の安全を脅かすものだと主張した。そしてフィンランドに対し、カレリア地峡の一部とフィンランド湾内のいくつかの島を譲渡すること、さらにハンコ半島を30年間租借させ、そこに海軍基地を建設し、部隊を駐留させることを要求した。
その代わりに、フィンランドにはカレリアにおいて、面積の点ではその約2倍の土地が与えられることになっていた。しかしフィンランド側は、マンネルヘイム線という防衛線を擁する戦略上きわめて重要な地域を手放すことを望まなかった。双方が妥協点を探ろうと試みたにもかかわらず、交渉は結局決裂した。
冬戦争は赤軍にとって厳しい試練となったが、最終的にはソ連の勝利で終わった。1940年3月12日のモスクワ条約によれば、ソ連はそれ以前に要求していた以上の広大な領土を獲得し、さらにハンコ半島を租借する権利も得た。
1940年4月、スターリンは次のように述べている。
「戦争は必要であった。なぜなら、フィンランドとの平和交渉は成果をもたらさず、レニングラードの安全を確保しなければならなかったからである。西方では、三つの大国が互いに喉元に食らいついていた。こうした状況においてでなくして、いつレニングラード問題を解決できたというのか…(*英仏とドイツが対立して手がふさがっている今こそ、レニングラード問題を片づける好機だった、という意味)」