ソ連兵はアエロサンでいかにナチス・ドイツ軍と戦ったか(写真特集)

ドイツ軍はしばしばソ連の軽量アエロサン(プロペラで推進してスキーで滑走するスノーモービル)を戦車と見まちがえ、どうして深い雪の上を文字どおり飛ぶように進めるのか、まったく理解できなかった。

 アエロサンとは、雪上や氷上を移動するための自走式走行車両である。3本ないし4本のスキーの上に載せられた軽量の車体を、エンジンとプロペラで走らせる。これは20世紀初頭のロシア帝国で考案された。厳しい気候条件、広大な国土、そして未発達な道路網という状況のもとでは、この種の交通手段がぜひとも必要だった。

ボリス・ロシン / TASS
ボリス・ロシン / TASS

 1920~1930年代を通じて、ソ連ではさまざまなタイプのアエロサンが開発・試験された。輸送用だけでなく、戦闘用も登場した。ソ連・フィンランド間の「冬戦争」(1939~1940年)では、哨戒任務に就き、部隊へ弾薬を届け、負傷兵を後送するのに用いられた。

アルカディ・シャイヘット/russiainphoto.ru
アルカディ・シャイヘット/russiainphoto.ru

 ドイツ軍のソ連侵攻が始まると、現存していたすべてのアエロサンは軍用として接収された。1941年8月19日、ソ連国家防衛委員会は5千台のアエロサンを生産するよう指令を出したが、1942年5月までに製造できたのは3千台弱にとどまった。

ゲオルギー・ペトルソフ / Sputnik
ゲオルギー・ペトルソフ / Sputnik

 主力型の一つが「NKL―26」である。合板製の車体前部は、厚さ10ミリの装甲で防護されていた。屋根には7・62ミリ機関銃を備えた旋回銃座があり、射手用の装甲盾も付いていた。乗員は2名で、車長は射手も兼ね、もう一人が操縦・整備を担う運転手だった。重量1トン強のこのそりは、起伏に富んだ不整地で時速35キロ、舗装道路では時速70キロに達した。

ゲオルギー・ペトルソフ/MAMM/MDF/russiainphoto.ru
ゲオルギー・ペトルソフ/MAMM/MDF/russiainphoto.ru

 赤軍では、アエロサンだけで編成された大隊が作られた。これらは偵察、連絡、施設警備、部隊側面の援護、退却する敵の追撃、負傷兵の後送、兵員輸送、さらにはドイツ軍後方への襲撃などに投入された。

パブリックドメイン
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 アエロサンの強みは、その速度と、敵の支配下にある道路に頼らず行動できる点にあった。敵後方へ一気に突破して混乱を引き起こし、そのまま素早く離脱できたのである。ただし、不整地では速度が目に見えて落ち、狭い森道や茂みでは、プロペラの構造上、そもそも走行そのものが不可能だった。

ゲオルギー・ペトルソフ / Sputnik
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 アエロサン部隊は、北極圏、レニングラード(現サンクトペテルブルク)、スターリングラード(現ボルゴグラード)を含む多くの戦線で戦った。コンスタンチン・ロコソフスキー元帥は、モスクワ近郊での反攻作戦中、ソ連軍後方に侵入してきたドイツ軍のスキー部隊を、あるアエロサン中隊が撃破した時のことを回想している。

 「中隊はただちにドイツ軍スキー兵の占拠地域へ進出し、展開すると同時に、そのまま突撃をかけ、14挺の機関銃で一斉射撃を浴びせた。ドイツ軍は四散し、殲滅された。助かったのは、森の縁の茂みにまで走って逃げのびることのできた者たちだけだった。

 この小競り合いで捕虜となった者たちは、口をそろえて、あの攻撃には完全に度肝を抜かれたと語った。彼らはアエロサンを戦車だと思い込み、どうしてあの車両が深い雪の上をまるで飛ぶように進むのか、ひどく驚いたのだった」