作家アレクサンドル・デュマ・ペールがロシア料理に開眼したいきさつ

ロシア・ナビ(写真:Bibliothèque nationale de France; Smithsonian American Art Museum)
ロシア・ナビ(写真:Bibliothèque nationale de France; Smithsonian American Art Museum)
『三銃士』と『モンテ・クリスト伯』の作者は、ほぼ1年間にわたってロシアを旅し、ロシア料理への造詣を深めた。彼は、冷製スープ「ボトヴィニャ」に夢中になり、ペレスラヴリでは地元名産の、ニシンに似た魚を味わい、アストラハンからバラの花びらのジャムのレシピを持ち帰った。

入国禁止とされたフランス人

カルナヴァレ博物館 アレクサンドル・デュマの肖像、コーカサス風の衣装を着ている。
カルナヴァレ博物館

 アレクサンドル・デュマ・ペール(1802~1870年)は、ロシア訪問を夢見ていたが、なかなか実現しなかった。彼は、1840年に長編『フェンシング教師のノート、あるいはサンクトペテルブルクでの18か月』を書いている(ロシアのデカブリストと1825年の蜂起を描いた)。この中で作家は、アレクサンドル1世が、父帝パーヴェル1世に対する陰謀と暗殺に関与したと明示しており、この小説の出版後は、ロシア訪問など問題にならなくなった。小説は発禁となり、デュマ自身も「好ましからざる人物」(ペルソナ・ノン・グラータ)とみなされた。

 こうした状況は、アレクサンドル2世の即位後にようやく変わった。グリゴリー・クシェレフ=ベズボロドコ伯爵は、作家デュマを、サンクトペテルブルクでの親族の結婚式に招待し、ロシアを案内すると約束した。1858年夏、デュマは、画家ジャン=ピエール・モワネとともに北方の帝都に到着した。

北の帝都から旧首都へ

Legion Media ボトヴィニャ
Legion Media

 彼は、サンクトペテルブルクとモスクワを訪れ、ヴォルガ川沿いを旅し、コーカサス山脈を探訪した。そして、行く先々で地元の料理を味わった。息子への手紙には、ペレスラヴリで名物の「ニシン」(プレシチェーヴォ湖に生息する淡水魚)を食べ、カルムイクの生の馬肉を味わったと記されている。「馬のもも肉は最高の朝食だ」

 彼は、冷製スープ「ボトヴィニャ」に歓喜した。「ロシア料理のボトヴィニャは、世界で最も美味しい料理の一つだ。初めて食べたとき、文字通り欣喜雀躍した」。また、ラム肉のシャシリク(バーベキュー)にも大満足だった。「これまであちこち旅してきたが、これほど美味しいものは食べたことがない」と、作家は告白している。自書『コーカサス』の中で、彼は詳細なレシピを自身のコメントとともに記し、よりスパイシーな味わいにするために肉を一晩マリネすることを勧めている。

 作家は、ホシチョウザメの冷製のワサビ煮も、大変気に入った。もし自分がシェフを雇ったら、数あるロシア料理の中からこの料理だけは作らせようと思ったほどだった。

ロシアの奇妙なスープ

フランス国立図書館蔵 ロシア、ヴォルガ川でチョウザメを釣る、ジャン=ピエール・モワネ作
フランス国立図書館蔵

 しかし、デュマは依然としてフランス料理を料理の最高峰とみなし、他国の料理を批判することをためらわなかった。ロシア料理も批判の的になった。「肉を食べているつもりが、実は魚だったり、魚を食べているつもりが、粥やクリームだったりする」。彼はこんな不満を漏らした。

 多くの料理が、彼には奇妙に思えた。例えば、コチョウザメのスープを食べたデュマは、かんばしくない判決を下した。「たとえロシアに二度と入国させてもらえなくても、あのコチョウザメのスープは、驚くほど不味いと言わざるを得ない」。彼は、冷製スープ「オクローシカ」も嫌いだった。「この奇妙なスープには、塩水に漬けた玉ねぎと青い小麦、そして細かく刻んだ大量のエシャロットと、熟していない冷え切ったキュウリの細切れがぶち込んである」

 デュマは、彼をもてなしたナルイシュキン伯爵をからかい、あなたは、イワン雷帝の料理(кухню Ивана Грозного)、または「イワンの恐るべき料理」(грозную кухню Ивана)の方がお好きらしい、と言った。 

パリから来た美食家

フランス国立図書館蔵 モスクワのノヴォデヴィチ女子修道院、M・モワネによる素描
フランス国立図書館蔵

 作家は、新しい料理を発見しただけでなく、熱心にレシピを書き留め、できるかぎり自ら厨房を仕切った。また、彼の健啖ぶりは凄まじく、彼を招いた人々は、文字通り頭を抱えた。サンクトペテルブルクでデュマは、作家アヴドーチャ・パナーエワと知り合った。彼女は、彼の訪問を「悪夢」と呼んだ。このフランス人は、彼女の蓄えを最後の一口まで平らげたのだ。彼は、とくにクルニク、つまり鶏肉と卵が入ったボリューム満点なパイが気に入った。

 作家は、決して満腹にならないようだった。パナーエワは、ある日、彼のために豪華なご馳走を用意したときのことを振り返っている。キャベツのスープ、分厚いパイ、子豚の丸焼き、様々なピクルスと前菜、そして甘いパイ。デュマはそれをすべて平らげ、3日後には、まるで何事もなかったかのように舞い戻って来た。「…デュマの胃袋は、ベニテングタケさえも消化できただろう」と、パナーエワはぼやいた。 

作家兼シェフ

フランス国立図書館蔵 アレクサンドル・デュマ著『コーカサス』、ジャン=ピエール・モワネによる版画(1845年)
フランス国立図書館蔵

 デュマは1859年春にフランスに戻った。旅から多数の記録、メモを持ち帰り、ロシア滞在を題材に、計19もの作品を書いた。「ロシアの痕跡」は、作家の最も有名な小説の一つ、『モンテ・クリスト伯』にも見出せる。そこでは、食卓にコチョウザメが出される。 

 全3巻の紀行文『コーカサス』の中で、彼は、自分を驚喜させたシャシリク(バーベキュー)に加え、チキン・ピラフなどについても記している。また、地元民が、食事の際に大量のワインを飲み干すことに触れ、カラスのスープについても言及している。「これは牛肉2ポンド分の価値がある」と、作者は哲学的に指摘している。

 デュマは、自著『料理大辞典』に、ロシアのレシピを載せている。そこでは、クリミアのワインのほか、バラの花びら、カボチャ、ナッツ、アスパラガスから作られたジャムも紹介されている。

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