かつてロシアでは聖三位一体の日に何をしていたのか?
ロシアの伝統的な祝祭は、季節が暦の上で移り変わる時期や、夏至・冬至、春分・秋分の節目を示していた。こうした日には、農作業の新たな段階や人間の生活の変化に結びついた儀礼が行われた。
キリスト教の「聖三位一体の日」は、復活祭から数えて50日目に祝われる。この祭日は、春から夏への移行期、そして異教的な祭りであるセミク、あるいはトリグラフと時期が重なっている。
この時期、古のロシアでは夏の遊興や占いが始まった。儀礼的な歌や踊りを通じて、スラヴ人は大地に豊かな開花と大きな収穫をいわば「プログラム」したのだ。
「娘たちが歩いたところ、/そこには花が咲いた。/若者たちが歩いたところ、/そこにはライ麦が密に実った」
ホロヴォード(輪舞)
三位一体祭の日に野原でホロヴォードを踊ることが、大地に実りの力を与えると考えられていた。ふつう、15~16歳未満の子どもや老人は加わらず、参加したのは若者だけだった。
ホロヴォードには実にさまざまなものがあった。たとえばヴォロネジ州では、昼食後からほとんど夜通しにいたるまで、何時間も同じ歌を何度も繰り返しながら、ホロヴォードを踊った。
ルサールカ除けの藁人形
三位一体祭までに、女性たちは亜麻布を織り終えなければならなかった。そうしないと、その糸にルサールカ、すなわち恐ろしい溺死した乙女たちが揺られることになる、と言われていたのだ。
多くの村では、祭日のあとの三位一体祭の週を「ルサールカの週」と呼んだ。この時期、ルサールカたちは水中から地上へ出てくると考えられていた。
これは春との別れの時期でもあった。伝統に従い、人々はぼろ布で人形を作り、それに女物の衣服を着せ、歌と踊りを伴って村の中を持ち歩いた。1週間のあいだ、ルサールカは人々のあいだで暮らしたのだ。
溺死した乙女たちをなだめるため、村人たちは白樺の枝を編み、それでブランコを作った。週の終わりには、ルサールカを「送り出した」。森に置いてくるか、人形を燃やしたのだ。
ちなみに、豊作を願って、いくつかの地域では前年の残り藁で道化人形を作り、祭りの終わりにそれを燃やした。
「カッコウの葬式」
三位一体祭の週、ロシアの一部地域では、未婚の娘たちは、誰が最初に結婚するかを占った。この儀礼は「カッコウの葬式」と呼ばれていた。怖がる必要はない。ここで「葬る」とは、隠すことを意味していたのだ。
ベルゴロド州では、祭日の1週間前に、カッコウをカエデの葉や、クガーという湿地の草で編んだり、あるいは単にリボンをつけた棒を作ったりした。少女たちは男の子たちに隠れてカッコウを作り、その人形を木の上に隠すか、地面に埋めた。つまり「葬った」のだ。
三位一体祭の週になると、カッコウ人形を取り出し、「さあ、流れていきなさい!」と言いながら筏に乗せて水に流したり、ただ水に投げ入れたりした。いちばん遠くまで流れていった人形の持ち主が、最初に嫁に行くことになった。
スラヴ神話では、カッコウのイメージは、寿命をまっとうしなかった死者たちの魂を体現している。
白樺の枝の装飾
三位一体祭の主要な象徴と見なされているのは白樺だ。人々は白樺に歌を捧げ、それを「親しい女友だち」と呼んだ。モスクワ郊外の子どもたちは、リボン、紙の花、卵の殻、鈴で飾った白樺の枝を手に家々を回り、よく茂った白樺について歌いながら、ごちそうを集めた。
白樺の枝は家の装飾にも使われた。ウドムルトでは、それで食卓を覆うことさえあった。庭では、枝を地面や門、丸太の隙間に差し込んだ。ブリャンスク州では、村の上空に雷雲が集まると、家に落雷しないよう、乾いた白樺の枝をペチカで燃やした。
正教の伝統
今日でも、正教の三位一体祭は、古いスラヴの伝統と結びついたかたちで祝われている。この日、司祭たちは生命の永遠の再生を象徴する緑色の祭服をまとう。信徒たちは草の花束や白樺の枝を礼拝に持ってくる。それらは聖別(成聖)されたあと乾燥させられ、その後1年を通じて薬草として用いられる。
ドン沿岸地方では、ニガヨモギ、タイム、スゲ、そしてポプラ、カエデ、白樺の枝で作った箒を用意した。三位一体祭の草を入れた水で、子どもたちを沐浴させた。ヴォロネジ州では、ラヴェージ、ミント、タイム、ライ麦の穂、麻から作った小さな草の花束が、薬用の煎じ汁に使われた。
*記事の完全版は、ロシア語でサイト「ロシア文化」に掲載されている。