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伝説のオペラ歌手ガリナ・ヴィシネフスカヤについての7つの事実

ユーリー・アブラモチキン / Sputnik
ガリナ・ヴィシネフスカヤ(1926~2012年)は、「ロシアのマリア・カラス」「スカートをはいたシャリアピン」と呼ばれた。ベンジャミン・ブリテンは彼女のために特別に声楽パートを書き、マルセル・ランドフスキは彼女を題材とするオペラを作曲した。

1.レニングラード包囲戦を生き延びた

アナトリー・ガラニン / Sputnik

 ヴィシネフスカヤは1926年10月25日に生まれ、幼少期のほとんどをクロンシュタットで過ごした。彼女を育てたのは祖母であったが、その祖母はレニングラード包囲戦のさなかに亡くなった。

 1942年春、15歳のガリナは防空部隊に志願した。その一方で、水兵たちのオーケストラとともに、要塞や地下壕で開かれる演奏会で歌っていた。

2.正規の音楽教育を受けていなかった

Legion Media

 「私はまだ3歳だったが、声はすでに大人のようだった。私は生まれつき、自然に発声ができる声を持っていた。ほんの小さな女の子の喉から、これほど力強い胸声が出ることを、周囲の人々は不思議に思っていた。拍手が聞こえると、私はテーブルの下から這い出し、お辞儀をした。そして、成功に気をよくして、自分が歌っている内容を身振りで演じ始めた」

 歌手は、両親が宴会を開いた際に歌っていた幼い頃のことを、このように回想している。

 1944年、彼女はレニングラード州オペレッタ劇場の合唱団に入り、ほどなくソリストとなった。また、ヴェーラ・ガリナに声楽を師事した。後にヴィシネフスカヤは、このレッスンが自分の人生を変えたと認めている。それがなければ、オペラ歌手になることはなかったという。

 彼女は一般的な意味での音楽教育を受けていなかったが、それでも1952年、ボリショイ劇場の研修生グループのオーディションに合格した。1966年には、通常の課程に通わず、検定試験によってモスクワ音楽院を卒業し、1990年には同音楽院の名誉教授となった。

3.ボリショイ劇場で活躍した

A・ヴォロティンスキー / Sputnik

 演出家ボリス・ポクロフスキーは、彼女をボリショイ劇場の「切り札」と呼んでいた。

 彼女は22年間にわたり、ソ連を代表するこの劇場の舞台で華々しく活躍し、『エフゲニー・オネーギン』のタチヤーナ、『雪娘』のクパヴァ、『スペードの女王』のリーザ、『皇帝の花嫁』のマルファ・ソバーキナなどの役を演じた。

 ヴィシネフスカヤの銀色に輝くようなソプラノの声は、彼女の劇的な表現力をいっそう際立たせていた。彼女は一つひとつの役を入念に準備し、文学的な原作や古文書を調べ、物語が展開する時代の歴史的・文化的背景を研究した。また、舞台衣装も自ら考案していた。

 彼女にとって、とりわけ重要な役の一つとなったのがアイーダである。その歌唱に感銘を受けたボリショイ劇場の首席指揮者アレクサンドル・メリク=パシャーエフは、自分が生きている間は、ほかの歌手がこの役で舞台に立つことを禁じた。

4.ソ連時代にニューヨークとロンドンで公演した

Legion Media

 彼女の最初の海外公演は1955年のことで、音楽祭「プラハの春」に参加した。

 その4年後には、アメリカの聴衆から熱狂的な拍手喝采を浴び、現地の記者たちは彼女を「目と耳をノックアウトする衝撃」と評した。

 1961年11月、このオペラ界の歌姫は『アイーダ』でニューヨークのメトロポリタン歌劇場にデビューした。さらにその1年後には、同じ役でロンドンのコヴェント・ガーデン王立歌劇場の舞台に立った。

5.ソ連国籍を剥奪された

マクシモフ / Sputnik

 1955年、ヴィシネフスカヤはチェリストのムスチスラフ・ロストロポーヴィチと結婚した。

 夫妻は作家アレクサンドル・ソルジェニーツィンを支援し、作家は数年間、夫妻の別荘で暮らしていた。

 当局から迫害されていたこの作家との友情は、夫妻にとって大きな代償を伴うものとなった。報道機関がヴィシネフスカヤについて言及することは、すべて禁止されたのである。

 1974年、彼女は夫とともに長期の海外出張という形でソ連を離れた。しかし、その4年後、夫妻はソ連国籍を剥奪された。

 ヴィシネフスカヤとロストロポーヴィチがロシアに戻ったのは、ようやく連邦崩壊の前年、1990年になってからであった。しかし、2人は国籍の回復を辞退した。

6.アンナ・アフマートワやベンジャミン・ブリテンに創作の霊感を与えた

ミハイル・オゼルスキー / Sputnik

 ヴィシネフスカヤの声は、詩人アンナ・アフマートワに創作の霊感を与えた。彼女が歌う『ブラジル風バッハ』を聴いたアフマートワは、「声を聴きながら」という詩を書いた。

 ドミトリー・ショスタコーヴィチは、交響曲第14番のソプラノ・パートを特に彼女のために作曲したほか、サーシャ・チョールヌイとアレクサンドル・ブロークの詩による連作歌曲も作曲した。

 また、ベンジャミン・ブリテンは、『戦争レクイエム』の声楽パートを彼女のために書き、アレクサンドル・プーシキンの詩による連作歌曲を彼女に献呈した。

 フランスの作曲家マルセル・ランドフスキは、ヴィシネフスカヤの自伝に基づいて、オペラ『ガリナ』を作曲した。

7.アレクサンドル・ソクーロフ監督の映画に出演した

Legion Media

 ヴィシネフスカヤは、もしソ連を離れることがなかったなら、いずれは演劇俳優としての活動に専念していただろうと語っている。

 1993年、彼女はエカテリーナ2世の役で、モスクワのチェーホフ記念モスクワ芸術座の舞台にデビューした。

 そして2007年には、映画界の巨匠アレクサンドル・ソクーロフ監督の映画『アレクサンドラ』に出演した。

 ソクーロフ監督は、彼女の中に「精神的な気高さ、ある種の内なる音叉のようなもの」を見いだしていると語っていた。