1945年のロシアはどんな様子だったか(写真特集)
この年は、まさに第二次世界大戦の勝利をもたらした年として知られている。国中がナチス・ドイツから解放されたベルリンその他のヨーロッパの都市の映像を見ている間に、ちょうど80年前のソ連がどんな様子だったかを見てみよう。
2月にクリミアのヤルタで、連合国の会議、「ヤルタ会談」が開かれた。スターリン、チャーチル、ルーズベルトは、三大国の指導者として、各国の新たな国境と戦後ドイツの運命について合意し、国連の基礎も築いた。
激しい戦闘の合間に、兵士たちは、休息や音楽、ダンスのための場所と時間を見つけた。 これほど多くの女性が参加した戦争は初めてだった。しかも、看護師としてではなく、本格的な戦闘部隊として。 女性のパイロット、機関銃手、狙撃兵、パルチザン。彼女たちは、真の英雄となり、敵との戦いにひたすら邁進した。 勝利!これこそが、この年の言葉だった。国中の誰もが祝った。もちろん、兵士たちも…。 …そして、すべての家庭も。 ソ連を代表するアナウンサー、ユーリー・レヴィタンが、ラジオで勝利を発表した。彼のアナウンスを聞くために、大勢の人が集まったため、彼は、かろうじてラジオ室にたどり着いたという。 5月9日の勝利を記念して、モスクワで花火が盛大に打ち上げられた。 間もなく兵士たちは、祖国に戻り始めた。列車に、「我々はベルリンから帰還した」と記されている。 大勢の人々(もちろんほとんどが女性)が、ベラルーシ駅に花を持って集まり、戦争から帰還した兵士たちを歓迎した。 勝利者たちは、母国で英雄として迎えられた。この日、心からの涙と抱擁があちこちに見られた。 「勝利者に花」 カンテミロフスカヤ戦車師団を訪問したピオネールが、戦勝に関する話を興味深く聞いている。 1945年6月24日、兵士の大半がすでに前線から帰還しており、最初の戦勝記念パレードが開催された。 「勝利の元帥」、ゲオルギー・ジューコフが、白馬に乗ってパレードに参加。 そしてジューコフは、ヨシフ・スターリンとともに、レーニン廟の雛壇からパレードを観る。 兵士たちは、倒れた敵の旗をレーニン廟の下に投げ捨てた。 パレードには連合軍の代表者も出席した。 パレードの後は祝砲。 5月10日には、大勢の人々が各地の広場に集まり、勝利を祝うコンサートが開かれた。 廃墟となったスターリングラード(現ヴォルゴグラード)で、ピオネールのパレードが行われた。 ついに平和な生活が訪れ、国は以前のように暮らし始めた。 ピオネールの少女たちがフープで遊んでいる。 交通渋滞が発生。国民の大好きなスポーツ、サッカーを観戦するためだ。 8月には、恒例の体育パレードが、赤の広場で開催された。その規模と凝った演出は、目を見張るものだった。 体育パレードで、ボランティアスポーツ団体「ソビエトの翼」の隊列が行進している。 終戦後最初の9月1日。軍功を讃えるメダルをもらった学生たちが、講義に戻った。 モスクワで最も美しい建物の一つは、クレムリンの向かいにある「パシコフの家」だ。今日、この辺りは交通量が非常に多い。