
孫がいなかったレーニンがなぜ「おじいさん」と呼ばれたのか

世界のプロレタリアの指導者は、子供がおらず、高齢とは程遠い年齢で亡くなった。53歳の壮年期での死だった。それにもかかわらず、ソ連の建国者ウラジーミル・レーニン(1870~1924年)は死後、「おじいさん」と呼ばれた。一体なぜそうなったのか?
ソ連のプロパガンダは、ここで最大の効果を発揮した。つまり、ソ連の子供たちにとって、温厚な知識人、賢明で思いやりのある「おじいさん」というイメージを作り上げたわけだ。「ピオネールはイリイチの孫であり、ピオネールはイリイチの希望である」とうたわれた歌もあった(*ピオネールは共産党の少年団)。
同時代人の回想によれば、レーニンは子供が好きだった。「子供たちの前では、彼の顔は輝き、目は笑い、彼らのおしゃべりに耳を傾け、冗談を言い、遊ぶのが大好きだった」。妻ナジェージダ・クルプスカヤはこう語っている。まさにこの明るいイメージが、多くの児童書の表紙に描かれていた。
次代の指導者ヨシフ・スターリン(1878~1953年)もまた、レーニンのイメージが社会に定着する一因となった。ウラジーミル・イリイチとそのかつての革命的同志たちは既に過去のものであり、未来は「諸民族の父」である自分のものである、と彼が強調したからだ。とはいえ、スターリンはレーニンより8歳若かったにすぎない。