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サンクトペテルブルクの名所旧跡20選(写真特集)
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宮殿
1. 冬宮(エルミタージュ美術館)
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1世紀半にわたり、冬宮はロシア皇帝のメインの宮殿として機能してきた。この地で1712年から建設され続けてきた、5番目の宮廷である。最初にこの宮殿の主となったのは、エカテリーナ2世だった。
彼女の絵画と彫刻のコレクションを保管するべく、宮殿に新たに離れが設けられ、これがエルミタージュと名付けられた。現在、エルミタージュ美術館は冬宮を含む6つの建築群から成っている、世界でも最大規模の美術館である。
エルミタージュ美術館が所蔵する宝物の数々については、こちらの記事を参照。エルミタージュ美術館を訪れるのに最もおススメしない方法については、こちらの記事。
宮殿が「冬の宮殿」と呼ばれる所以と、その他の興味深いあれこれは、こちらの記事がおすすめ。
2. ミハイロフスキー宮殿(ロシア美術館)
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この宮殿は、ロシア美術の世界最多の収蔵数で名高い。コレクションの基礎となったのは、治世当時にロシア美術のパトロンだったアレクサンドル3世の個人的な収蔵品である。
ロシア美術館の成り立ちについては、こちらの記事を参照。
2. モイカのユスポフ宮殿
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この邸宅の調度品の豪華さは、皇族のそれと比肩し得る。ロシア貴族でも有数の資産家であったユスポフ公家の、57の邸宅のうちの1つである。この建物自体は、ニコライ2世の側近だった怪僧ラスプーチンの殺害現場となったことでも有名である。
ユスポフ邸について、詳しくはこちらの記事を参照。
橋
1. 宮殿橋
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サンクトペテルブルクの最も有名な橋にして、街のシンボル。白夜のシーズンに中心部が跳ね上がる双葉跳開橋の姿は、この街で最も数多く写真に撮られてきた風景であろう。6月21日の前後の週に、跳ね上がる姿を見ることができる。
2. ボリシェオフチンスキー橋(旧ピョートル大帝橋)
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ネヴァ川にかかる、ペテルブルクで最も奇抜なこの橋の開通は1911年。中央の2つの塔と、2つのアーチから成る。この橋はスモリヌイ聖堂とオフチンスキー岬という、ペテルブルグの2大名所を繋ぐ場所に位置する。かつてオフチンスキー岬にはスウェーデンが築いたニエンシャンツ要塞があったが、要塞は18世紀半ばまでには解体された。
3. アニチコフ橋
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フォンタンカ川にかかる3径間のアニチコフ橋は、4つの「馬を調教する人」のブロンズ像で名高い。作者はピョートル・クロット。アニチコフ橋は、ネフスキー通り屈指のフォトスポットだ。
サンクトペテルブルクのその他の橋については、こちらの記事に詳しい。
教会
1. 血の上の救世主教会
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この教会は、アレクサンドル2世の暗殺現場に建てられた。1881年、テロ組織「人民の意志」のメンバーが皇帝の足元に爆弾を投げつけた。アレクサンドル2世暗殺の試みは、6回目にしてついに皇帝の命を奪ったのである。
教会の建設は1883年に始まったが、落成してお清めの儀式が行われたのはようやく1907年になってから。外観は、モスクワの赤の広場の聖ワシリイ大聖堂を思わせる。内部の壁とアーチはモザイク画で覆われている。
血の上の救世主教会について、詳しくはこちら。
2. 聖イサアク大聖堂
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1858年に建設された聖イサアク大聖堂は、1710年からこの地にあった3つの教会の系譜にある(サンクトペテルブルクの建設は1703年)。建設には実に40年を要した。高さは101.5メートル。地上43メートルの高さに柱廊があり、街のパノラマを見渡せる。
聖イサアク大聖堂について、詳しくはこちら。
血の上の救世主教会と聖イサアク大聖堂は、現在は博物館となっている。休日と教会の祭日には奉神礼が行われ、無料で見学できる。
3. カザン聖堂
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ネフスキー通りの中心に位置するこの主教座教会は、ロシア軍の栄光を讃えるものとして崇敬を集めている。1812年の祖国戦争の勝利の直前、1811年に清めの儀式が行われた。後にここに戦利品ももたらされ、1813年には聖堂の左の宝座に、祖国戦争当時のロシア軍総司令官だったミハイル・クトゥーゾフ元帥が葬られた。また、ロシア正教の最も崇敬されている聖物である、カザンの聖母イコンも安置されている。
河岸通り
1. ドヴォルツォヴァヤ河岸通り
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サンクトペテルブルクのもっとも華やかなこの河岸通りは、2kmにも満たない。ドヴォルツォヴァヤ河岸通り沿いには冬宮、エルミタージュ美術館、夏の庭園、大理石宮殿(ロシア美術館の別館)、その他にもいくつかの邸宅や宮殿が並ぶ。河岸通りからはペトロパヴロフスク要塞とワシリエフスキー島の岬が見える。
2. ワシリエフスキー島の岬
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岬の建造物群の中心は旧証券取引所、動物学博物館、土壌博物館、そして有名なロストラの柱が構成している。ロストラの柱は、もともとは1885年まで同地にあった港の灯台だった。岬の両側には宮殿橋と証券取引所橋がある。
3. セフカーベリ・ポルト
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サンクトペテルブルクの最のモダンな河岸通りは、ロシア初のケーブル製造工場の跡地に開かれた公共の広場にある。ここからは水路にかかる斜張橋と海港が良く見え、カノネルスキー船舶修理工場の船着き場とクレーンが見渡せる。
セフカーベリ・ポルトにはカフェ、レストラン、デザイナーズショップが入居している。展示会や見学ツアー、コンサートやフェスティバル、各種マーケットなども開催されている。
広場
1. 宮殿広場
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街のメインの広場である。広場には冬宮、旧参謀本部(エルミタージュと軍本部の間で分割された)、エルミタージュ美術館のその他の施設がある。広場の中心は、頂上に天使の像を頂くアレクサンドルの円柱がそびえる。
ペテルブルクの天使やその他の幻想的なあれこれについては、こちらを参照。
1924年、当時の政府は円柱状の天使を、同年死去したレーニンの像にすげ替えるプランを検討していたが、結局実現しなかった。現在、宮殿広場では街の主要行事が執り行われている。
2. 元老院広場
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ロシア帝国の最高権力機関・元老院の建物があったことから、この名がついた(現在この建物はロシア連邦憲法裁判所)。この場所に、青銅の騎士の像がある。1782年に完成した、ピョートル1世の騎馬像である。
ペテルブルクのシンボルとして名高い青銅の騎士に関する10の事実。
1925年、元老院広場はデカブリスト広場に改称された。1825年12月にこの場所で蜂起した貴族の秘密結社にちなむ。専制と農奴制の撤廃を掲げて国家転覆を図ったこの乱の100周年を、ソ連では大々的に記念した。元の名称に戻されたのは、2008年のことである。
3. マルソヴォ・ポーレ
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この場所に広がっていた草原では、ピョートル1世の頃からパレードや閲兵式が行われてきたが、後にスポーツ大会も催されるようになった。1805年からマルソヴォという名称で呼ばれるようになったが、これは古代ローマの軍神マルスにちなむものである。
1917年4月、この場所には2月革命(1917年2月23~27日)の死者の共同墓地が設けられた。
1917年のペトログラードの風景を写真で振り返る。
1918年11月、ボリシェヴィキの墓地となっていたマルソヴォ・ポーレは、「革命の犠牲者広場」に改称された。この地での埋葬は1933年まで続けられた。レニングラード包囲戦のさなかの1942年、広場は畑になった。1944年に元の名称に戻され、1957年、ソ連で最初の公式の「永遠の火」がこの場所に設置された。10年後、この永遠の火を種火として、モスクワの無名戦士の墓の火が点火された。
庭園と公共空間
1. 夏の庭園
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1704年にピョートル1世によって建設されたこの庭園は、小さな島にある。当初は皇帝のための夏の別邸で、ヴェルサイユの庭園を参考にしていた。
ピョートル1世の指示により、庭園はイタリアの彫刻家に彫らせた大理石の彫刻(現在、夏の庭園で見られるのはその写しである)と、噴水で彩られた。しかし噴水は1777年の洪水で失われ、21世紀になってようやく再建された。夏の庭園を初めて一般に開放したのは、ピョートルの娘、エリザヴェータ女帝で、1752年のことだった。
2. 新オランダ島
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セフカーベリ・ポルトと並ぶ、新たなトレンドの発信地。こちらも、産業施設の跡地に建設されている。ピョートル1世の時代、この場所では造船用の木材を乾燥させていた。後年、この地には牢獄が建てられ、さらに後には海軍の施設となった。
現在、かつて海軍の刑務所だった建物にはブティックやレストランが入居し、司令部の建物にはキッズセンターとなり、島の中心部の草原は夏にはフェスティバル会場、冬にはスケートリンクとなる。
3. ミハイロフスキー庭園
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ピョートル1世の命によって、ほど近い夏の庭園とほぼ同時期に建設された庭園。ミハイロフスキー宮殿(ロシア美術館)と血の上の救世主教会に接し、広い並木道と小さな池のある、やや小ぶりの庭園である。
4. 植物園
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ロシア最古の植物園の1つ。ピョートル1世がサンクトペテルブルクに遷都し、薬草園の設立を命じた18世紀から収集が始まった。施設内には温室、日本庭園、博物館と育苗所を備える。
5. ペトロパヴロフスク要塞
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サンクトペテルブルクの歴史はザーヤチ島にこの要塞が建設されたことから始まった。要塞の建設が開始された1703年5月27日が、街の始まりとされている。なおこの要塞は、一度も戦闘を経験していない。
島の周囲には防御施設が巡らされ、内側には歴代皇帝の墓所であるペトロパヴロフスキー大聖堂、1724年から稼働している造幣局、旧政治犯収容所、将校用や技師用の建物などがある。現在、これらの建物は博物館となっている。1873年以降、要塞のナルイシキン稜堡から毎日正午に大砲が時報を放つのが伝統になっている。