ボリス・パステルナークの小説『ドクトル・ジヴァゴ』が必読の書である5つの理由

ボリス・パステルナークの小説『ドクトル・ジヴァゴ』が必読の書である5つの理由
David Lean/Metro-Goldwyn-Mayer, 1965
ロシア革命と内戦を舞台に描かれた、このまさに人間的な物語は、何世代にもわたってカルト的な人気を誇っている。また、それはかつて「プロパガンダの武器」ともなっていた。

1. 50年間にわたる、ロシアの激動の時代を如実に体験できる

ボリス・パステルナークの小説『ドクトル・ジヴァゴ』が必読の書である5つの理由
Aleksander Proshkin/Mosfilm, 2005

 この長編小説は、医師ユーリー・ジヴァゴの青年時代から死に至るまでの物語である。しかしこれは、一個人の軌跡ではなく、20世紀の激動の時期を背景にした壮大な物語だ。そして歴史そのものがここでは、完全に独り立ちした主人公となっている。読者は、帝政ロシアの生活、戦時の疎開、捕虜としての監禁、革命、内戦を如実に体験する。 

2. 最高の恋愛小説の一つ

ボリス・パステルナークの小説『ドクトル・ジヴァゴ』が必読の書である5つの理由
FilmPublicityArchive/United Archives/Getty Images

 不倫と三角関係というテーマが、背景の内戦と不可分に溶け合っている。内戦は、善と悪、白軍とボリシェヴィキ政権の間で揺れ動く人々の戦いと葛藤だ。

 読者の前に、愛のジレンマが示される。いずれの側をとることも不可能に思える。妻に忠実なジヴァゴが、ララという女性に心を奪われてしまう。彼女は、ジヴァゴがまだ革命前に、たまたま見知った女性だった。ところが内戦時に、偶然のいたずらにより、二人は再会し、互いに引き寄せられることになる…。 

 この小説における恋愛は、そのかなりの部分が自伝的である。文学研究者たちによると、ララのモデルは、作家の最後の恋人、オリガ・イヴィンスカヤだ。

3. ノーベル文学賞を授与された、数少ないロシアの小説の一つ

ボリス・パステルナークの小説『ドクトル・ジヴァゴ』が必読の書である5つの理由
Bettmann/Getty Images

 この作品は、パステルナークの畢生の大作であり、1945~1955年にかけて執筆された。しかし、ソ連の出版社はすべて、その原稿を拒否した。検閲官たちは、キリスト教のモチーフが強すぎること、そして、革命に対する作者の態度が複雑であることに気づいた。

 パステルナークは、危険を冒して原稿を外国に送ることを決意。作品はすぐにイタリアで出版され、その後アメリカとイギリスでも刊行された。

 1958年、作家は、「現代抒情詩における大きな功績と、ロシアの偉大な叙事的長編小説の伝統を継承したこと」により、ノーベル賞を授与された。しかし作家は、受賞を断念せざるを得なかった。ソ連では、この成功は喜ばれず、逆に大規模な迫害が始まった。衝撃を受けたパステルナークは重病に陥り、1960年に亡くなった。 

4. パステルナークの詩の魅力

ボリス・パステルナークの小説『ドクトル・ジヴァゴ』が必読の書である5つの理由
Aleksander Proshkin/Mosfilm, 2005

 パステルナークは、知的な家庭に生まれ、優れた教育を受け、ロシア詩の「銀の時代」に接し、象徴主義詩人の一員となった。『ドクトル・ジヴァゴ』以前には、彼は、詩人として、また詩の翻訳者として有名だった。シェイクスピアの戯曲、フランス語とドイツ語の詩などを見事に訳している。

 主人公である医師ユーリー・ジヴァゴが書いた詩は、小説中の最も重要な部分となり、作者パステルナークはそれを、付録のように巻末に載せている。それらの詩は、医師の所持品の中から発見されたという設定だ。パステルナークの愛読者の多くは、この詩の部分が、散文による本文よりも重要だとさえ考えている。

5. アメリカはこの小説をプロパガンダの手段に利用した

ボリス・パステルナークの小説『ドクトル・ジヴァゴ』が必読の書である5つの理由
Culture Club/Getty Images

 2015年、CIA(米中央情報局)は、この小説の海外出版に関与していたことを示す資料を機密解除した。それによると、1957年、CIAは指令を出した。この書を可能な限り多く印刷し、さまざまな言語で配布することに注力するよう推奨する、というものだ。

 1958年にブリュッセルで開催された万国博覧会や、1959年にウィーンで開かれた「世界青年学生祭典」の、ソ連からの参加者にこの本を無料配布する取り組みを始めたのもCIAだった。

 「CIAの書籍プログラムにより、ソビエト圏の知識人の大半が、自由世界の価値観や文化に関する情報を入手できた」。機密資料の公開に際し、こうした説明が添えられていた。

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