ラフマニノフ「交響曲第2番」の自筆譜が戻った:音楽学者や投資家が血眼で探した末に

ラフマニノフ「交響曲第2番」の自筆譜が戻った:音楽学者や投資家が血眼で探した末に
Kira Lisitskaya (Photo: Roger Viollet via Getty Images; Legion Media; Sotheby’s)
ロシア文化に対する「冷戦」の真っ只中に、あるアメリカの慈善家が、偉大な作曲家の自筆譜のデジタルコピーを、学術出版のために寄贈してくれた。

 「ロシア音楽出版社」(Russian Music Publishing)は、ユニークな学術出版を準備している。ロシアの天才作曲家、セルゲイ・ラフマニノフ(1873~1943年)の交響曲第2番の自筆譜だ。アクセスできないと思われていた自筆譜のデジタルコピーが、米国の収集家ロバート・オーウェン・レーマン・ジュニアから、出版社に寄贈された。この貴重なアーカイブは、過去20年間探索されてきた。  

紛失した自筆譜

ラフマニノフ「交響曲第2番」の自筆譜が戻った:音楽学者や投資家が血眼で探した末に 第2交響曲の原稿(自筆譜)
Sotheby’s

 第2交響曲は、ラフマニノフの作品中、要の位置を占めている。1907~1908年にドレスデンで作曲されたこの曲は、作曲家に深刻な精神的痛手をもたらした第1交響曲の失敗の後、創作への復帰を示すものだった。ラフマニノフ自身はこう書いている。

「この交響曲第1番の後、私は約3年間何も作曲しなかった。私は長い間、まるで脳卒中に襲われ、頭と両手が麻痺した男のようだった…。この交響曲は、もう公にせず、遺言で閲覧を禁止するつもりだ…」

 交響曲第2番の初演は、1908年1月8日(グレゴリオ暦21日)に、作曲者自身の指揮により、マリインスキー劇場で行われ、待望の成功を収めた。

ラフマニノフ「交響曲第2番」の自筆譜が戻った:音楽学者や投資家が血眼で探した末に セルゲイ・ラフマニノフ、1920年代
Sovfoto/Universal Images Group via Getty Images

 しかしその後、第2交響曲の原稿(自筆譜)は、何十年も行方不明になっていたのだが、2004年に、突如サザビーズのオークションに登場し、音楽界から大きな注目を集めた。

 ラフマニノフの楽譜その他のアーカイブは、よく保存されていると考えられている。作品の大半は、清書された自筆譜や、作曲者自身が修正を加えた生前の版などの形で、今日まで残っているからだ。しかし、ラフマニノフは、1917年に亡命を余儀なくされたため、彼のアーカイブは、ロシア、米国、西ヨーロッパの図書館、博物館、文書館、個人コレクションに分散してしまった。

ラフマニノフ「交響曲第2番」の自筆譜が戻った:音楽学者や投資家が血眼で探した末に
Sotheby’s

「ラフマニノフの自筆譜には、世界の音楽界がまだ耳にしたことのない、知られざる未発表のラフマニノフの姿が潜んでいる点で、価値がある。つまり、これは実際、ある意味で新しい発見なのだ」。ロシア音楽出版社のドミトリー・ドミトリエフ社長は、この発見の意義を、こう説明している。

 スイスに住む、偉大な作曲家ラフマニノフの孫、アレクサンドル・ラフマニノフは、自筆譜の出現を知り、匿名の所有者を裁判で訴えようとした。その目的は、その所有者には自筆譜の所有権がないことを証明することだった。アレクサンドル・ラフマニノフは、長年にわたり、偉大な祖父の作品の普及に努め、祖父の名を冠した音楽祭やコンクールの企画、さらには、才能ある若い音楽家の支援などを行ってきた。

ラフマニノフ「交響曲第2番」の自筆譜が戻った:音楽学者や投資家が血眼で探した末に ラフマニノフの孫、アレクサンドル・ラフマニノフ
A. Babushkin / TASS

 ラフマニノフの孫は、強硬な態度をとった。「彼は、電話をかけてきて、憤懣をぶちまけた。どうしてこんなことが起こるのか、訴訟を起こすべきだ、返却させるべきだ、すぐに罰金を科すべきだ、などと言った」。ドミトリエフ社長は、彼の様子についてこう語る。「我々はすぐに、彼の気分が、致命的な結果をもたらす可能性がある。そして、このユニークな自筆譜が、今後さらに50~80年も行方不明になりかねないと気づいた」

 結局、ロシア音楽出版社社長の主張が効いて、アレクサンドル・ラフマニノフは、オークションでその自筆譜に触れぬことに同意し、所有者と和解契約を結んだ。サザビーズは、オークションを非公開に変更し、楽譜は80万ポンド(*2025年1月30日現在、1スターリング・ポンド は191.98円)で「テイバー財団(The Tabor Foundation)」に売却された。同財団はそれをロンドンの大英図書館に預け、研究者が閲覧できるようにすると約束した。

 ついに交響曲第2番の自筆譜が、日の目を見るかに思われた。当時は、それが再び何年も研究者から“雲隠れ”することになろうとは、誰も想像できなかっただろう。

お得なビジネス

 音楽作品のオリジナル(自筆譜)は高額なので、販売されることはほぼない。2016年、匿名の買い手が、グスタフ・マーラーの交響曲第2番の自筆譜を、サザビーズにおいて450万ポンドで購入した。これは、オークションで最も高額で落札された楽譜として、ギネスブックに載った。 

ラフマニノフ「交響曲第2番」の自筆譜が戻った:音楽学者や投資家が血眼で探した末に
Sotheby’s

「自筆譜は、作曲者に『最も近い』、最も信頼できるテキスト情報源だ。そこには、作曲者のアイデアの詳細がすべて含まれている」。こうドミトリエフ社長は説明する。

 彼によると、自筆譜をふつうに印刷された楽譜にしてしまうと、さまざまな解釈の余地が生じ、多くのディテールが失われ、その結果、作曲者のオリジナル・バージョンとは異なるものになる。

「バッハ、ベートーヴェン、モーツァルト、ラフマニノフ…誰の作品でも、自筆譜に非常に高い値段がつくのはそのためだ」。ドミトリエフ社長は指摘する。

 彼の意見によれば、テイバー財団が交響曲第2番の自筆譜を買ったのは、もっぱら後で転売するためだったという。デジタルコピーが普及すれば、自筆譜の貴重さが失われ、その後のオークションでの価値が下がりかねない…。という次第で、研究者らが過去10年間に研究できたのは、自筆譜の数ページだけだ。それは、サザビーズのロットブックレット用にデジタル化されたものだった。

戻ってきた第2交響曲

ラフマニノフ「交響曲第2番」の自筆譜が戻った:音楽学者や投資家が血眼で探した末に セルゲイ・ラフマニノフ、1936年
Fine Art Images/Heritage Images / Getty Images

 テイバー財団の投資家たちは、確かに勝利したと言えよう。2014年、アレクサンドル・ラフマニノフの死後、交響曲第2番の自筆譜が、オークションに再び登場し、米国の収集家で慈善家のロバート・オーウェン・レーマン・ジュニアに、120万ポンドで落札されたからだ。

ラフマニノフ「交響曲第2番」の自筆譜が戻った:音楽学者や投資家が血眼で探した末に
Sotheby’s

 しかし、レーマン家の美術コレクションは、米国で最も優れた個人コレクションの一つと考えられている。第2交響曲の自筆譜は、ニューヨークのモルガン図書館&博物館に預けられた。

 レーマンは、以前の所有者たちとは違い、このユニークな自筆譜を、世界と共有することを決意した。彼は、第2交響曲の最初の学術版を作成するために、デジタルコピーをロシア音楽出版社に寄贈した。現在、同社では自筆譜の解読作業が進行中だ。

 これに先立ち、レーマンは、学術的な「ラフマニノフ全集」のプロジェクトについて知った。また、大英図書館の同僚が、この米国人慈善家に、2004年のサザビーズのオークションで初めて原稿が「救出」されたことを伝えていた。

ラフマニノフ「交響曲第2番」の自筆譜が戻った:音楽学者や投資家が血眼で探した末に ラフマニノフ国際ピアノコンクール
Alexander Konkov, Valentin Kuzmin / TASS

 ドミトリエフ社長は、レーマンの行動を、国家間の協力のユニークな例とした。「彼のケースは、我々に示してくれた――どこの国にも、国籍や民族に関係なく、“最後通牒”以外の言葉で話し合える、人間的な人々がいる、ということを」。彼はこう結んだ。

あわせて読みたい:知っておきたいセルゲイ・ラフマニノフの名曲7選>>>

<