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スターリン・アンピール様式とは?
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スターリンの治世に、建築は構成主義やアール・デコといったソビエト初期の実験的な建築から、厳格な新古典主義に移行した。第二次世界大戦後にはこれがハイパー・モニュメンタリズムに進化して、現在では「スターリン・アンピール様式」と呼ばれている。ナチズムに勝利したソ連は古典を再解釈し、過去の英雄化を推し進めた。それは外装はもとより、内装にまで及び、新たな建築様式はソ連国家の偉大さを喧伝する役目を負っていた。
ソ連時代(当然スターリン時代も)、こうした様式は単に「ソ連建築」としか呼ばれていなかった。「スターリン様式」と通称されるようになるのは後年のことで、「スターリン・アンピール様式」という用語は長い間、専門家の間で非公式に使われていたに過ぎなかった。いち早くこの用語を公に使用したのは、芸術学者のセリム・ハン=マゴメドフだった。
スターリン・アンピール様式は、多くの建築様式の要素を取り込んでいる。例えば、列柱やポルチコ、塑像や理想的シンメトリーといったルネサンスや古典主義の特徴。あるいは、ロココやバロッコのヴォリュートと過剰な装飾、アンピール様式のブロンズ多用など。また、アメリカのアール・デコスタイルの高層ビルの影響も明らかだ。装飾には、ソ連邦の国章もしくは五芒星が多用された。
スターリン・アンピール様式の嚆矢は早くも1930年代に出現していた。それはソビエト宮殿の設計案で、解体された救世主キリスト大聖堂の跡地に建設予定だったが、結局実現しなかった。コンペには多くの有名建築家が参加し、ボリス・イオファンの設計案が採用された。
多くの建築はスターリン自らが提唱し主導したと考えられ、設計案の承認はスターリン自身が行った。レフ・ルードネフ、アルカジー・モルドヴィノフ、モデスト・シェピレフスキー、ヴラジーミル・シューコといった建築家らは、これらの新たな建築に求められる要素を細部まで感じ取っていた。
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ソ連国民経済達成博覧会(VDNKh)は、まさにそうした豪華な演出で開催された。ソ連の各構成共和国にそれぞれのパビリオンが設けられ、スターリン様式建築に各民族のモチーフを取り入れたデザインとなった。また、巨大な噴水群も作られた。例えば噴水「民族友好」は、金箔に覆われた塑像が各共和国を象徴しており、皇帝のペテルゴフ宮殿を彷彿とさせるものとなっている。
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モスクワのゴーリキー公園の入場門建築群も、同じスタイルが採用された。
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モスクワの北河川ターミナルの建物も、スターリン・アンピール様式だ。スターリン時代の大型プロジェクトの中でも最重要な1つであったモスクワ・ヴォルガ運河の開通記念に建てられただけに、その位置付けは重要だった。
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スターリン・アンピール様式のシンボル的存在が、モスクワの7つの高層ビルである。いずれも、スターリンが直々に設計案を承認した。
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尖塔を備えた荘厳な高層ビルは、スターリン時代の象徴的な建築となった。内装も含めて、その建設には巨額の費用が惜しみなく投じられた。
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ソ連の建築家たちは、西欧のアンピール様式(その起源はナポレオン時代のフランスにさかのぼる)のディティールを積極的に装飾に用いた。バロック風の極端に凝った諸要素は省きつつも、金や塑像、木彫や浅浮き彫りといった装飾はスターリン様式の外装にも内装にも多く採用された。
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高層ビルの他、モスクワの中心街は「スターリンカ」と通称される住宅が並んでいる。こうした住宅には、ソ連のノメンクラトゥーラ(特権的幹部層)が暮らしていた。スターリンカのファサードも列柱や張出しバルコニー、装飾コーニスといった特徴が見られる。写真の住宅はソ連邦国家保安省の職員用として1940年代後半に建てられたもので、スターリン・アンピール様式の傑作とされている。建築家のエヴゲニー・ルィビツキーはこの住宅の設計を讃えられてスターリン賞を受賞した。
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モスクワの中心部への正面玄関として機能したのは、ガガーリン広場の2つの半円形の建物で、1950年に完成した。
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現在、モスクワの地下鉄駅の多くは地下宮殿とまで表現されている。事実、そうした駅は宮殿を模したスタイルで設計され、列柱や浅浮き彫り、大量のモザイク画や巨大なシャンデリアが特徴だ。
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モスクワはスターリン・アンピール様式のショールームだったが、モスクワ以外の都市にも拡がった。多くの都市や州都には「スターリンカ」式の住宅が建設された。
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第二次大戦中にソ連が極めて重要な激戦を制した英雄都市スターリングラード(現在ヴォルゴグラード)の中心部は、戦没兵士広場と、その周辺のホテル、郵便局、劇場、鉄道ターミナルといった建物がスターリン・アンピール様式で統一して再建された。
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アンピール様式は、スターリン自身も自らのために選んだ。彼の執務室や別荘のインテリアは、房飾り付きのビロードのカーテン、ウッドモザイク、大きく豪華な照明器具といった、アンピール様式の特徴を全て備えている。
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「勝者のスタイル」たるスターリン・アンピール様式は1950年代の半ばまで持続したが、スターリンの死に伴い、たちまち途絶えてしまった。1955年に「設計と建設における建築の装飾過剰の排除」決議が発出される。スターリン時代の建築装飾の「過剰さ」は批判に晒され、党の新たな指針として、厳格なフォルムとシンプルさが打ち出された。荘厳なクラシシズムは、装飾を最小限に止めた規格的な建築に取って代わられた。こうして1950年代中盤に登場したのが、スターリンカに代わる「フルシチョフカ」である。