GW2RU
GW2RU

1935年のロシアはどんな様子だったか(写真特集)

地下鉄の開通、赤の広場での「体育パレード」、急速な「共産主義の建設」、そしてヨシフ・スターリンの独裁政治。90年前のロシアでは、何によって、どのように生活していたのか?

 この年の主な出来事の一つは、初の地下鉄の開通だった。1935年5月15日、モスクワの最初の路線に、最初の列車が走った。

   最初の乗客は、地下鉄建設者たち自身だった…。   またジャーナリストたちも。    1935年、モスクワは、スターリンの「モスクワ再開発総合計画」の枠組みのなかで、積極的に再建された。新しい幹線道路が建設され、都市の変革を妨げるものは、すべて容赦なく破壊された。そして、目抜き通り「ゴーリキー通り」(現在のトヴェルスカヤ通り)では、通りを拡張するために家屋の移転まで行われた!   歴史的写真。大衆的生産性向上運動「スタハノフ運動」のパイオニアの一人だったタジク人の少女、マムラカト・ナハンゴワが、ヨシフ・スターリンを抱いている。彼女は、綿花摘みの功績により、「労働英雄勲章」を授与されに、モスクワにやって来た。
М. カラシニコフ
 こちらは、スターリンと娘スヴェトラーナ。彼女は、モスクワ近郊の別荘で、ラヴレンチー・ベリヤに抱かれて座っている。  新旧の時代の交錯。ボリショイ劇場近くのタクシー乗り場。  もう一つの「歴史の転換」。これが、マルク・マルコフ=グリーンベルグによるこの二連写真のタイトルだ。ロシア帝国の象徴である「双頭の鷲」がクレムリンの塔から撤去され、その代わりに、赤い星が据え付けられている。   モスクワの活気に満ちた車道。   今はもう存在しないオホートヌイ・リャード通りの路面電車。左側は、建設中のホテル・モスクワだ。   ソ連の主要な祝日の一つは、メーデー、つまり労働者の日であり、この日には、必ず大規模なデモやパレードが行われた。これは、モスクワのプーシキン広場で行われたメーデーの祝賀行事の様子だ。  赤の広場でのメーデーの軍事パレード。   夏には、赤の広場で大規模な「体育パレード」が開催された。スポーツと健康的な体力づくりは、ソ連のプロパガンダの一部をなしていた。   スターリンと党指導部が、レーニン廟の壇上から、選手たちを迎えた。  赤の広場での体育パレードに参加した女性漕手たち。  ソ連の彫刻家たちは、オールを持った少女たちの姿にインスピレーションを受けて、同型の石膏彫刻を制作した。これは、全国の公園に広まった。  ソ連では、女性たちは、それまで「女の仕事ではない」と考えられていた仕事に、積極的に従事し始めた。写真は、女性初のトラクター運転手だ。  これらの女性たちは、バッジ「ヴォロシーロフ射手」を授与された、つまり射撃基準に合格した。写真中央は、ソ連国防人民委員(国防大臣)クリメント・ヴォロシーロフ。 
Ivan Shagin (CC-BY-SA 3.0)
 有名な女性写真家、エヴゲニア・レムベルグ。  よく働く者はよく休まなければならない。そのため、国内には何百ものサナトリウムや「休息の家」が設立された。写真は、ソチで休暇を過ごす人々。   モスクワの労働者の主なレクリエーションの場は、ゴーリキー公園だった。   珍しいアトラクションとして、パラシュートタワーがあった。   子供たちが、モスクワのソコリニキ公園で橇に乗る。  チェスは、ソ連における主な趣味の一つだった。写真は、第2回モスクワ国際チェストーナメントでのミハイル・ボトヴィニクとヴィクトル・ゴグリゼの対局。  シリーズ「生きた古典」の写真の一枚。作家ミハイル・ブルガーコフと妻エレーナ。エレーナは、彼の有名な小説『巨匠とマルガリータ』のヒロインの原型だと考えられている。   ソ連の主なスーパースター、作家マクシム・ゴーリキーが、レーニン廟の前で撮影された。   1935年、新しいソビエト国家に共感したフランス人作家、ロマン・ロランが、ソ連を訪れた。 左の写真では、作家に同行していた内務人民委員部(NKVD)将校の顔が修正されているのが分かる。これは時代の兆候の一つであり、おそらく彼は粛清されたのだろう。