「マヒワの小鹿君」がフォンタンカ河岸で酒を飲んだのはなぜ?

「マヒワの小鹿君」がフォンタンカ河岸で酒を飲んだのはなぜ?
Legion Media
「マヒワの小鹿君(чижик-пыжик)、どこに行っていたの?フォンタンカ河岸でウォッカを飲んだのさ」 こんな歌を聴いたことがあるだろうか?あるいは、サンクトペテルブルクで「マヒワの小鹿君」の彫刻を見たことがあるだろうか?言い伝えによれば、それは鳥を記念したものではない。
「マヒワの小鹿君」がフォンタンカ河岸で酒を飲んだのはなぜ?
Vadim Zhernov / Sputnik

 19世紀、サンクトペテルブルク帝国大学法学部は、フォンタンカ川の岸辺にあった。

「マヒワの小鹿君」がフォンタンカ河岸で酒を飲んだのはなぜ? サンクトペテルブルク帝国大学法学部
«Scherer, Nabgolts and Co.», N. Olshevsky/Archive of Alexander Nikolaevich Odinokov

 学生たちは、黄色のボタン穴が付いた緑色の制服を着て、冬には鹿の毛皮でできた帽子を被っていた。

「マヒワの小鹿君」がフォンタンカ河岸で酒を飲んだのはなぜ? 現代のサンクトペテルブルク帝国大学法学部
Alex 'Florstein' Fedorov (CC BY-SA 4.0)

 制服の色とマヒワの羽色が似ていたため、学生たちは、「マヒワの子鹿君」とあだ名が付いた――。こんな都市伝説がある。

「マヒワの小鹿君」がフォンタンカ河岸で酒を飲んだのはなぜ?
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 そして、彼らについての俗謡が作られた。なぜなら、彼らは夜な夜な居酒屋に居座り、酔って堤防沿いにぶらぶら歩くのが好きだったから。

「マヒワの小鹿君」がフォンタンカ河岸で酒を飲んだのはなぜ? 1859年、サンクトペテルブルク帝国大学法学部の卒業生、最前列にピョートル・チャイコフスキーが座っている
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 この曲の作者は不明だ。もっとも、別の説もあり、似たような歌が、この学部が設けられる前から市内で歌われていたという。

「マヒワの小鹿君」がフォンタンカ河岸で酒を飲んだのはなぜ?
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 この「ヒーロー」の記念碑は1994年にお目見えし、サンクトペテルブルクの非公式のシンボルの1つになった。

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