
モスクワ風景9選:一味違う首都散策

モスクワ中央環状線(MCC)に乗る

モスクワの鉄道の小環状線を一周するのに、1時間半しかかからない。大きな車窓を備えたモダンで快適な電車に乗って移動しつつ、そこから街を珍しい角度から眺めることができる。
また、「モスクワ中央環状線」の駅舎の多くは、20世紀初頭のアールヌーボーの「記念碑」だ。なぜなら、この鉄道は、1902~1907年に、この地区の貨物輸送のために建設されていたからだ。

MCC は、観光ルートとしても手軽に利用できる。駅には、清涼飲料水やスナックの自動販売機がある。また、MCCからは、モスクワの多くの公園にアクセスしやすい。「植物園」、ポクロフスコエ・ストレシネヴォ(貴族の元邸宅と庭園)、イズマイロフスキー森林公園、公園「ロシーヌイ・オーストロフ」、その他だ。
ホンモノの森「ローシ」へ行く

「ロシーヌイ・オーストロフ」は国立公園で、その3分の1はモスクワ市内にある。この3分の1だけでも、都市内にあるものとしてはロシア最大の自然林だ。この森は非常に古く、「ロシーヌイ・オーストロフ」または単に「ローシ」(*ヘラジカの意味)として、1406年から知られており、常に禁漁区だった。ツァーリたちはここで狩猟を行っていた。たとえば、1564年にイワン雷帝は、ローシへ熊狩りに赴いている。
「ロシーヌイ・オーストロフ」の長い林道を歩いていると、おそらくここの主な「住民」であるヘラジカに出会うだろう。彼らは、人間が間近にいることに慣れて久しい。しかし、重要なのはヘラジカに近づかないことで、やはり生命の危険がある。
公園「クルイラーツキエ・ホルムイ」を訪れる

首都の西部にある公園「クルイラーツキエ・ホルムイ」からも、興味深い景色が展望できる。この場所は、市内で最も起伏に富んでいる。ここのいくつかの丘は天然のものであり、いくつかは人工物だ。とても急な坂なので、冬にはスキー場が設けられる。しかし、肝心なのは、一年中壮大なパノラマが満喫できることだ。
水面から街を眺める

最近、「水上路面電車」がモスクワで定期運行され始めた。これによる「エクスカーション」は、通常の川バスよりもはるかに安い。都心を水面から眺めるルートは2つある。お値段はたったの150ルーブル(~260 円)。
オスタンキノタワー(テレビ塔)のガラスの床を歩く

飛行機に乗らずにモスクワを空から俯瞰するにはどうすればよいか?もちろん、オスタンキノ・テレビ塔(1967年竣工、高さ540メートル)に昇ることだ。ここには展望台が2つあり、1つは屋根付きだが、床はガラス張り(ガラスの厚さは7ミリメートル)で、もう一つは、好天の日にのみ出られる。
そして、もちろん、回転フロアのあるレストラン「第七天国」がある(地上328~334メートル)。何か注文して、ゆっくりと塔の周りを回転しつつ、モスクワの全景を眺めることができる。
「博物館の日」に貴族の邸宅を訪れる

年に数回、古のモスクワを通りからではなく、「内側から」見るチャンスがある。そのとき、市政府は、政府機関や外国大使館が所有する歴史的な邸宅や庭園を開放する。これは、「歴史・文化遺産の日」である4月18日と5月18日に開催される(いくつかの史跡は他の日に開放。スケジュールは市のウエブサイトで確認する必要がある)。いくつかの旧貴族邸は、事前登録が必要だが、その価値はある。かつてのモスクワの貴族・素封家の邸宅のインテリアは、ただただ素晴らしい。
モスクワの古い市場「プレオブラジェンスキー」に行く

プレオブラジェンスキー市場は、フードコートや店舗のないモスクワ最後の市場だ。古儀式派(分離派)のプレオブラジェンスキー修道院の取り壊された建物の跡地にある。ここで食料品を買うのは、かつてのモスクワの市場の雰囲気を感じるにはうってつけだ。雰囲気は、修道院の壁の古い塔によっていよいよ強まる。
ちなみに、プレオブラジェンスキー修道院のコミュニティは、ソ連時代にも存続していた。「十字架挙栄教会」は、共産党の政権下でも閉鎖されなかった。教会は今も活動しているが、部外者がコミュニティの敷地内に入るのは禁じられている。
市場の敷地を開発業者に渡そうとする試みが再三なされてきたが、その都度、一般市民は「自分たちの」市場を守った。ここは、お手頃価格で人気がある。
芸術家村「ソーコル」

モスクワ市内で最も有名な「別荘地」が、芸術家村「ソーコル」だ。プロジェクト「田園都市」が実現したもので、都市と田舎の良い点を組み合わせている。この村は 1920年代に計画され、現在も都市計画の記念碑として保存されている。
「ソーコル」は、住宅協同組合の資金で建てられたが、かなり高額で、手付金さえ、ソ連のエリートしか払えなかった。村のコテージの最終価格は6,600ルーブル(1050円)に達した(ちなみに、当時の警察官の月収は50ルーブル(~90円)未満、専門技術者の月収は約120ルーブル(210円)だった)。
だから、ここの家屋の大部分には、常に裕福な家族が住んできた。家屋そのものも、村全体と同様に美しく、多くの家は、優れた建築とデザインの好例だ。ソーコル村の散策はとにかく楽しい。車両が通らないことも、散歩するにはありがたい。
19世紀のモスクワの景観:ポクロフカ通りとシュコーリナヤ通り(ロゴージスカヤ関所〈ザスターヴァ〉)

地下鉄キタイ・ゴロド駅からブリヴァール(並木通り)に通じるポクロフカ通りは、革命前のモスクワが最も良く保存されている街路だ。1930年代にここで取り壊されたのは、「聖母被昇天教会」だけで、通りの両側にあるすべての民間の建物は、帝政時代のままだった。当時も今も、この通りは各種店舗やレストランで賑わっている。通りの右側から伸びる曲がりくねった路地は、古の中心部、つまり、イワノフスカヤ・ゴルカとヒートロフカに通じている。

ロゴージスカヤ・ザスターヴァのシュコーリナヤ通り(最寄りの地下鉄駅はプローシャジ・イリイチャー〈イリイチ広場〉駅)もまた、19世紀の商業区がほぼ完全に保存されている例だ。ただし、ここでの取引は卸売のみだった。シュコーリナヤ通りは、この地区の道路としては異常に広い。何百もの荷車、大型荷馬車、輜重がここで行き交い、方向転換したためだ。農民や商人は商品をモスクワに持ち込み、シュコーリナヤ通りには卸売店や倉庫があった。これらの建物も保存されている。だから、この通りでは、まるで古のモスクワを舞台にした映画のセットにいるような気分になる。