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ロシアのこのバンドは、1990年代におとぎ話とパンク・ロックのミックスで名をあげた。彼らの人気が再燃した理由とは?
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1990年代中盤、『森の番人』(人喰い狼の話)や『魔法使いの人形』(黒魔術の餌食になった女性の話)といった楽曲は、そこかしこで流れていたイメージがある。しかし、栄光は永遠ではない。嗜好の変化や世代交代を経て、音楽の世界の流行も移ろっていった。そこへ突然、Korol i Shutが音楽チャート入りし、バンドの歴史を綴ったドラマシリーズが記録的な視聴回数をはじき出した。一体何が起きたのか?ネタバレ:TikTokのおかげ。
ブレーメンのパンク隊
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1990年代初頭、ロシアのパンク音楽には複数の中心地があった。モスクワとペテルブルクという2大ライバル都市を席巻していたのは、シベリア発のLo-Fiサウンド。スタイルはスカ・パンクからノイズミュージックまで多様。そうした背景にあっても、ペテルブルク出身のKorol i Shutは異色だった。いかなる社会批判も盛り込まず、卑語も使わない。アナーキズムへのシンパシー、パンクらしいドライヴ感とレザージャケットを、彼らはファンタジー調のストーリーラインを基調とする歌詞と融合させた。どの曲も、不吉なミニ・ミュージカルであり、意外な結末が特徴だ。そして、ソロのバイオリン演奏もまた、パンクとしては異色の極地といえた。
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2人のフロントマン、アンドレイ・クニャゼフ(通称クニャジ)とミハイル・ゴルシェニョフ(通称ゴルショク)はいずれも、彼らが聴いた人生初のロックとして、オーディオ劇のミュージカル『ブレーメンの音楽隊』(1969年)のレコードを挙げて居る。2人は成長したが、大人になってしまったわけではなかった。彼らは『ブレーメンの音楽隊』を継承したと言って良い。ホラー・パンクの先駆け、アメリカのThe MisfitsはチープなスリラーやSFから題材を得たが、Korol i Shutは魔術師や魔女やバンパイアなど、西欧のフォークロアからインスピレーションを得た。しかし時には、スラブ発祥のヴォジャノーイや、ラヴクラフトの作品からダゴン、あるいは明かに『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズ由来の海賊も登場する。
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2人のフロントマンは互いをよく補完し合っていた。クニャゼフは歌詞の大半を執筆し、ゴルシェニョフは曲を担当した。たびたびデュエットで歌った2人は、いずれも優美なバリトンで、クニャジはやや高音、ゴルショクがやや低音だった。ゴルショクはその歌声に加え、尋常ならぬ熱量で観衆を引き付け、どの曲でも役を演じきった。公演における彼の姿は、そのまま中世の道化を連想させるものだった。モヒカン刈りは道化の帽子、そして笑顔からのぞく歯抜けの口元は道化を思わせるに足りた。ゴルショクは子供時代、手を使わずにアゴの力で公園の鉄棒にぶら下がって見せると言った挙句、歯を4本欠いていた。
絶壁を上り詰める
わずか数年で、Korol i Shutはパンク・ロック界で最も人気のあるバンドになったばかりか、国内でもトップクラスの知名度を誇るバンドになった。最大規模の会場で公演し、名のあるフェスでヘッドライナーとなり、またThe StranglersやThe Exploitedの前座も務め、MTV Russiaの賞も獲得した。2000年には『絶壁から飛び降りる』が半年にわたって、ロシアの最大手ロック・ラジオ局「ナーシェ・ラジオ」のチャートトップを独占した。同局が発表したロシアン・ロックの名曲500選では、この曲は19位。そして堂々のトップは、あの『森の番人』である。
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言わば2000年代ロシアにおいてKorol i Shutを知らない、1曲も聴いたことが無いという状況は有り得なかったのである。まさに“国民的”バンドであった。しかし人気に伴い、「ゴプニク向けバンド」という悪評も広まってしまった。ゴプニク、すなわち大声でがなり立て、ビールを呑んでケンカをするためだけにコンサートに来るような、街のチンピラである。音楽評論家は軽蔑を隠そうとせず、ロックファンの間でさえ、Korol i Shutのファンを名乗るのは憚られる雰囲気があった。
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バンド自体も、内包していた矛盾によって引き裂かれた。ゴルショクは更なるパンク的なマクシマリズムと、The Exploitedのようなハードな演奏を目指していた。ゴルショクは『絶壁から飛び降りる』や『魔法使いの人形』といったフォーク・ロック系の歌を嫌悪していると、公にコメントしていた。この2曲はクニャジがゴルショク抜きで書き、歌っていたものだ。だがこれらの曲こそが、Korol i Shutをパンクのゲットーから引っ張り上げ、ロシア中に名を知らしめたのも事実だ。しかし、短いストーリーを歌うというフォーマットは、ゴルショクにとって重荷にもなっていた。彼が夢見たのは、もっと大規模なスタイルだった。ティム・バートンによるスウィーニー・トッドの映画に触発されたゴルショクは、この有名な連続殺人理髪師のキャラクターを題材にミュージカルを上演しようと考えた。クニャジはこの企画を拒否してバンドを脱退、新たなグループを組んだ。
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それでもゴルショクはホラーオペラ『Todd』を書きあげ、主役も演じた。しかしほどなくして、2013年夏に急死する。40歳の誕生日まであと3週間であった。Korol i Shutも公式に活動を停止した。
パンク・ルネッサンス
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Korol i Shutの人気のピークは2000年代に過ぎてしまったが、ゴルショクの死後もその存在は忘れられたわけではない。彼らの曲で育ったファンは、Korol i Shutを愛し続けた。曲はラジオで流れ続け、歌われ、サッカーのFCゼニットのサポーターは『魔法使いの人形』のメロディーを彼らのチャントに用いた。ところが2020年代の初めになって、思いがけない現象が起きる。突如として、Korol i Shutのリバイバル・ブームが発生したのだ。
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全ての始まりは、TVショー『ゴーロス』だ。2020年12月、『魔法使いの人形』をドミトリー・ヴェンゲロフがカバーした(動画はYoutubeで160万回再生)。2021年1月、ユーロビジョン優勝者のアリャクサンドル・ルィバークが同曲をバイオリンで演奏すると、動画はTikTokで30万回以上再生された。こうしてこの曲は思いがけず拡散されることになり、他の曲もこれに続いた。 現在TikiTokではハッシュタグ#korolishut(#корольишут)が付いた動画は合計5040万回再生され、ハッシュタグ#魔法使いの人形(#куклаколдуна)付きの動画は1億4410万回再生されている。
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しかも、これは氷山の一角に過ぎない。様々な曲がミーム化し、カバーされたり、アマチュアによるミュージックビデオが製作されたりしている。親世代が持っていた先入観にとらわれていないZ世代は、Korol i Shutの歌詞や、印象的なリフや、隠されたアレンジを高く評価した。若者たちに続いて、音楽評論の場でも再評価がなされた。Korol i Shutの軌跡を真剣に検証する動きは、今になってようやく出てきた。
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記録的再生回数に注目が集まった結果、ロシア最大級の動画ストリーミングサービスKinopoisk.ruが、映画製作にGoサインを出した。バンドの歴史を題材に、映画が8話に分けて製作された。これは、ロシア映画界において特筆すべき出来事である。従来、ロシアの伝記映画の題材は、ソ連時代の文化人から取られるのが常だったからだ。プロデューサーの目論見は当たり、Korol i Shutの映画の第1話・第2話が3月に公開されると、最初の6日間でKinopoisk.ruの登録者130万人が視聴した。同サイト上では、これは突出した記録であった。そしてKorol i Shutは、華々しくチャートに復活を果たした。同月初めにはストリーミングサービスYandexミュージックのトップ3を独占。トップ100には実に22本の曲がランクインしたのである。