6月6日はロシア語の日!

ロシア・ナビ(Photo: Gregory_DUBUS/Getty Images, AlxeyPnferov/Getty Images)
ロシア・ナビ(Photo: Gregory_DUBUS/Getty Images, AlxeyPnferov/Getty Images)
この祝日の由来は?いつから?その祝い方とは?

 2011年、ロシアでは新たな祝日が公式に追加された。「ロシア語の日」である。なぜ6月6日なのだろうか?それは、この日がロシアの偉大な詩人アレクサンドル・セルゲーヴィチ・プーシキンの誕生日だからだ。プーシキンは、現代ロシア文章語を確立したとされる偉人である。

プーシキンが現代ロシア語の父とされる理由は?

 「プーシキンは、我々の全て」。これは、評論家のアポロン・グリゴリエフが1859年(推定)に発したとされるフレーズだが、現代のロシアでもアクチュアルであり続けている。プーシキンは「ロシア詩の太陽」とも称され、ロシア文学史上最高の詩人とされる。

モスクワの国立文学博物館、スピヴァク/Sputnik 「1880年6月8日にモスクワのストラスナヤ広場で行われたアレクサンドル・プーシキン記念碑の除幕式」の複製
モスクワの国立文学博物館、スピヴァク/Sputnik

 37年というその短い生涯の間に、彼が著した詩は783篇、12篇の長詩、7篇の児童向け詩物語、8篇の舞台作品、15篇の中編・短編小説、そして「ロシアの生活の百科事典」とも評される韻文小説『エヴゲーニイ・オネーギン』を世に送り出した。まさしく、あらゆるジャンルで成功した作家だったのである。

 その軽やかな文体とメロディックな韻律のおかげで、彼の作品は全てのロシア人にとって分かりやすく、親しみのあるものとなった。哲学から人生まで、プーシキンが取り上げたテーマは実に広範である。

 そして何より、プーシキンは確かに、新しい文章語を確立した。今現在、ロシアで話され、書かれているロシア語である。それまで、18世紀の文章語は勿体ぶった大仰な、口語表現では用いないような表現が多かった。プーシキンは高等な表現と俗な表現を融合させることに成功した。口語と文章語に外来語、さらに民衆の使う格式の低い言葉も加えた。この驚きの組み合わせを天才的な感性で詩作と散文に活かしたことで、その言語スタイルは以後の作家たちに踏襲されていくことになるのである。

ロシア語の日はどのように祝われる?

 プーシキンに関連した最初の大規模な記念行事は、ソ連時代の1937年に行われた。ただし、この時は没後100年を記念したものだった。モスクワにプーシキン像が設置され、全集の刊行が発案され、さらに大規模な展覧会が開催されたことで、ロシア文学研究所(プーシキン館)の設立に繋がった。

ヴャチェスラフ・ルノフ/Sputnik A.プーシキンの誕生日、プーシキン広場のアレクサンドル・プーシキン記念碑に集まる詩人の才能を称える人々
ヴャチェスラフ・ルノフ/Sputnik

 1990年代になると、「ロシア語の日」の制定が議論されるようになる。1999年、ソ連ではプーシキン生誕200周年が盛大に祝われた。2007年は、「ロシア語イヤー」とされた。ロシアで正式に祝日として制定されるよりも以前から、クリミアでは「ロシア語の日」が祝われていた。2010年からは、国連が6月6日を国連公用語の国際デーとしている(ロシア語は、話者の数は世界第8位で、その数は約2億6000万人)。

 2011年、ドミトリー・メドベージェフ大統領が「ロシア語の日」を毎年祝うことを決めた大統領令に署名。この大統領令において、プーシキンは「現代ロシア文章語の創設者」として言及されている。

 こうして6月6日は、ロシア全土でロシア語関連のフェスティバル、文学の夜会、文学ミーティングなどが恒例行事化した。さらに、クレムリンのすぐ脇ではブックフェス「赤の広場」が11年連続で開催されるなど、ロシア語の日とプーシキンの誕生日は必ず祝われるようになった。

プーシキンは外国人にも人気

 翻訳すると詩の魅力は失われ易いとされる。プーシキンの詩にいたっては、翻訳不能とまで言われる。しかし、それでも、プーシキンは翻訳される。例えば、『私は妙なる瞬間を覚えている』は、実に210ヵ国語に訳されている。韻文小説『エヴゲーニイ・オネーギン』は100か国以上の翻訳がなされ、英語だけでも、同作の翻訳は10以上のバージョンがあるほどだ。

ウラジーミル・ビャトキン/Sputnik モスクワのGostiny Dvorで開催される国際知的文学フェアnon/fictio№
ウラジーミル・ビャトキン/Sputnik

 ロシア語を学ぶ外国人にとって、プーシキンがロシア文学への興味の切欠となるケースは多い(トルストイやドストエフスキーは、原文で読むには難解に過ぎる)。プーシキン記念ロシア語大学に通うイランからの女子留学生は、「200年を経てなおも多くの人がその作品に親しみ続けている!」とその感嘆を語っている

 プーシキンの英語翻訳の第一人者とされ、英語圏にプーシキン作品を紹介し普及活動に貢献したことを評価され、ロシア国籍も授与されているジュリアン・ローウェンフェルドは語る:

 「プーシキンは、そのアイロニーと優しさで毎日、私を救ってくれます。日常的に私たちを取り囲む俗悪に対する、プーシキンは精神的な解毒剤なのです。自由と愛を謳い、誠実に生きることで幸福を掴むことを説きます。これ以上に大切なことがあるでしょうか?」。

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