
スターリンに敬意を表してモスクワを改名する構想があった

この構想は、1930年代後半に生まれた。クレムリンは、全国の労働者とコルホーズの農民から、「諸民族の父」に敬意を表して首都を改名してほしいという提案や要請の手紙を、数多く受け取った。
さまざまな選択肢が提案された。スターリングラード・ナ・モスクヴェー、スターリングラード・モスクワなどだが、最も人気があったのはスターリノダールだ。
「スターリンの天才は、人類への歴史的な贈り物であり、より高い段階への発展と上昇の道を導く星です。したがって、私は、地球上の現在および将来の多くの世紀における全人類が、モスクワのスターリノダールへの改名を、満足と喜びをもって受け入れると、深く確信しています」。モスクワ市民、ドミトリー・ザイツェフは、内務人民委員(内務大臣)ニコライ・エジョフに宛てて、こう書き送った。
1938年にモスクワの改名を提案したのはエジョフ自身だった。彼はこの案で、言わば政治的な得点を稼ごうとしたのだが、まったく成功しなかった。スターリンは、この提案を愚劣だと非難した。そして人民委員自身、間もなく銃殺されることになる。