
ロシア語の「寄生語」とは何か?

このような言葉あるいは間投詞は、どの言語にも存在する。日本語では、つなぎ言葉やフィラーと呼ばれる。「なんか」、「あのー」、「えっと」などの言葉だ。これらは、話者の発言や思考の空白を埋めるために必要となる。
ロシア語では、これらは「寄生語」と呼ばれる。その理由は、第一に、文法的なつながりなしに会話に挿入される。第二に、会話は、文字通り寄生虫のように、これらの言葉で溢れているからだ。
「『寄生語』は、言語のチック症状といった感じだ。フレーズのどの部分にも現れるし、何度も繰り返されることがある(多くの場合、同じ文の中で)。これらの言葉の主な特徴は、発言内容に何も追加しないため、簡単に省略できることだ。省いても、意味は変わらないだけでなく、より明確になる」。ポータルサイト「Gramota.ru」の編集者、アンドレイ・ゴルシコフは言う。
ロシアでは、「寄生語」が多すぎることは、話者の話し言葉のレベルが低く、語彙が乏しいこと、また(例えば、人前で話すときなどに)緊張していることを示すと考えられている。
ちなみに、こうした場合、ネイティブスピーカーは、罵り言葉やそれを婉曲に置き換えた表現を用いることがある。最も流布しているのは、「ブリン」(блин)だ(これについては、すでに記事がある)。
多くの場合、寄生語は、助詞、導入語、感嘆詞だが、一つの表現全体をなすこともある。ここでは、ほぼすべてのロシア人が使う、最も一般的な寄生語をいくつかご紹介しよう。
「Ну」(nu)
最も広く使われる「寄生語」の一つで、これに関する洒落の一種さえある。「Ну - баранки гну」(Nu - baranki gnu)と韻を踏んでいる。これは、次のやりとりになっている。
「Ну?」(それで?)
「Баранки гну」(バランカ〈輪形のパン〉を曲げてるのさ)
もし子供がこの言葉をあまり頻繁に口にしたり、音を伸ばして長々と発音したりすると、親や教師は、「не нукай!(ヌーカチ(нукать)するな)」(нукатьは「ヌーと言う」の意味)と注意することがある。たいていは、何かを知らないときに、時間稼ぎに用いる。「Нууу, я не знаю(Nuuu, ya ne znayu)」(うーん、分からないな)。
Вот(vot)
これほど何でもかんでもまとめてくれるような「寄生語」はまずない!文字通り、フレーズのどこにでも現れて、論理的な結論みたいに聞こえる――「вот」(ほら。というわけさ)。「ну вот」と2語で出てくることもある。
Ээээ(eeee)
自制心に富んでいて他の寄生語を使わない人でさえ、会話の間を埋めるために、まったく無意味にこの音を発することがある。そのため、この寄生語は、メールにもよく見られる。「えー?」という言葉に出会ったら、それは、何かが全然分からないとか、非常に混乱しているとかいう意味だ。
Типа(tipa)、как бы(kak by)、вроде того(vrode togo)
これらの単語は、純粋な形では、比較のために使われる。順番に、「~のタイプの」「まるで~のように」「それに類する」という意味だ。しかし、自分の言っていることがはっきりしないときには、しばしば寄生語のように機能する。「はい」または「いいえ」の代わりに、まさにこれらの言葉が返答として出てくるのだ。「まあ、そんな感じかな」
В общем(V obshchem)
書き言葉では、この導入語はあまり見られない。これは、話された内容をまとめるものだ。「要するに」「概して」「つまり」。しかし、会話では非常によく耳にする。
ちなみに、この表現はしばしば問題を引き起こす。というのも、ロシア人でさえ、正しい書き方に迷うからだ。「вообщем」か「в-общем」…。さて、ここでもう一つ、同様の意味の寄生語「вообще-то」(voobshche-to)が登場する。
Это(eto)、это самое(eto samoye)、там(tam)
最初の2つは「これ」、3つ目は「あそこ」の意味だが、何かを忘れた人がよく使う。必要な言葉や事実を度忘れした場合に用いるわけだ。
На самом деле(Na samom dele)
一部の言語学者の考えでは、この表現は、曖昧さを表す「как бы」とちょうど対照的に、非常な信憑性を表現するために用いられる。
Слушай(Slushay)
文字通りの意味は、「聞いてくれ」。人はよくこの言葉を話し相手に使う。こうして相手の注意を引こうとするのだ。メッセンジャーでは、いくつかのバリエーションが用いられており、短い「слышь 」(slish)や、長く引き伸ばされた「слууушай」(sluuushay)などがある。
Короче(koroche)、короче говоря(koroche govorya)、если коротко(yesli korotko)
いずれも、「簡潔に言えば」「要するに」「詰まるところ」の意味、面白いのは、話者が自分の話にこれらの言葉を加えて語数を増やしているくせに、話を短くしようとしていることだ。ちなみに、「короче」という言葉は、感嘆詞や感嘆詞に似た働きをすることもある。「要するに何を言いたいの? もっと簡潔に、要点を押さえて話してよ」と促す場合だ。