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ソ連初のテレビってどんなの?
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ソ連でテレビセンターからの定期放送が開始したのは1934年。その時点ですでに、レニングラードの工場では量産型のテレビが生産されていた。
「B-2」という名称のタイプで、約3×4cmの小窓が付いた、小さい木箱のような見た目だった。
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この科学技術の奇跡を設計したのは、アントン・ブレイトバントというエンジニア。B-2はパウル・ニプコーのニプコー円板を原理とする機械式テレビジョンであった。仕組みは極めてシンプルである。同じ直径の孔が多数ある円盤を想像して欲しい。その円盤の後ろに光源がある。円盤を高速で回転させると、光る線状の軌跡が見える。光源を調整すれば、私たちの目が動的な画像として認識するような特定の信号を発する。
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画像はわずか30本の走査線から構成されていた。画質を良くするには直径数㍍級の円盤が必要だが、当然、技術的には不可能である。また、音声は別々に放送されたため、B-2をラジオ受信機に接続する必要があった。
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ソ連では数年間で3000台のB-2型テレビが生産された。価格は235ルーブル。労働者のおよそ1か月分の給料に相当する額である。
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結局、構造上の問題もあって、1940年には機械式テレビジョンは電子式に取って代わられた。ブラウン管付きテレビの登場である。ブラウン管は400本の走査線を使って映像を伝達できた。