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レフ・トルストイはどのようにして愛を見つけたのか

Fine Art Images/Heritage Images/Getty Images
作家の妻というのは、ロシア文化史でも重要な位置づけだ。ゴーリキーいわく、その女性は唯一無二のポジションにあった。レフ・トルストイの私生活の友であり、その子供達の母であり、大きな邸宅の主人であり、そして19~20世紀を代表する難解にして天才的な人物の妻であった。2人の馴れ初めは、どのようなものだったのか?

 トルストイが家庭を持つことを夢見るようになったのは、15歳の時。幼少期は決して恵まれたものではなかった。2歳にもならない頃に母親を亡くし、ほとんど記憶が無かった。9歳の時に父親も世を去った。こうした経緯から、幸福な子供時代を、愛する家庭を再生したいという終生の強い渇望が生まれたのである。1852年、コーカサスへの道中、叔母のタチヤナ・ヨルゴリスカヤ(トルストイ家の子供たちの親代わりだった)宛の手紙に次のように書いている:「私にはもう1つ願望があります。結婚し、妻は優しく温和で、愛情があり、私と同じように貴方を慕います。私の子供たちは貴方を“お婆様”と呼び...貴方は祖母の役割を、私は父の、妻は母の、そして子供達は、私達の役割を担うのです」。

ソフィア・ベルス-花嫁、1862年/トルストイ、結婚の前年
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 トルストイは将来の妻に、当初から母親の役割を期待していた。実母のポートレートは1枚も無く、その精神的イメージのみを有していた彼は、母親を神格化していた。トルストイは次のように書いている:「母について私が知っている事は、何もかも素晴らしい」。それは即ち、将来の妻は同じくらいに素晴らしくなくてはいけない、ということである。

 コーカサスとセヴァストポリを後にしてペテルブルグに戻って以降、トルストイは何人かの若い娘にアプローチしたが、目指したような理想には出会えなかった。モスクワで、トルストイは古い付き合いのベルス家を訪ねる。ソフィヤ・アンドレーエヴナの母リュボフィ・アレクサンドロヴナはトルストイの少年時代の友人であった。彼女はモスクワの宮廷付医師のベルスに嫁いでいた。このベルス家には3姉妹、エリザヴェータ、ソフィヤ、タチヤナがいた。トルストイはこの一家に惚れこみ、妹のマリーヤに、もし自分がいつか結婚することがあれば、その相手はきっとベルス家だろう、と語った。実際のところ、彼が好意を寄せていたのは適齢期だった長女ではなく、17歳のソフィヤだった。日記にも、名指しこそしていないものの、「子供だ!どうやら!」と書いている。どうやら、本物の愛情、らしかった。

ヤスナヤ・ポリャーナの庭で、レフ・トルストイと妻ソフィア・アンドレーエヴナ、1910年
Sovfoto/Universal Images Group/Getty Images

 1862年、ベルス家がイヴィツァの領地にやってくると、トルストイはすぐさま自領のヤースナヤ・ポリャーナから追いかけていった。そしてカードテーブルの上で、ソフィヤに「в. м. и п. с. с. ж. н. м. м. с. и н. с.」と、頭文字だけを並べた手紙を書いた。ソフィヤはこれを解読できた。「貴女の若さと幸福の渇望は、私の老いと幸福の不可能性をあまりに生々しく突きつけます」という文面である。最早完全に惚れこんだトルストイは、「私は狂人だ、これがこのまま続いたら、私は自殺してしまう」「夜中の3時まで眠れなかった。16歳の少年のように、夢想して苦しんだ」と日記に記している。ついにソフィヤに宛てた手紙を書き、2日間ポケットに入れっぱなしでしわくちゃにした挙句、3日目にようやく頃合いを見て彼女に渡した。「正直にお答えください、私の妻になってくれますか?もし本心から確信を持てる場合だけ、“はい”と言ってください。そうでなければ、もし僅かでも疑いがあれば、“いいえ”と言って下さった方がいい。どうか、よくよく自分に問うてください」こう言った彼に対し、母親の部屋で手紙を読んだソフィヤは下りてきて、トルストイに、「もちろん、はい」と答えた。

ヤスナヤ・ポリャーナの家の書斎にいるレオ・トルストイと妻、1902年
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 ソフィアが了承した後、トルストイはありったけの決断力をもって、ただちに、翌週に式を挙げることを主張した。9月23日、クレムリンの生神女誕生教会で結婚式が行われた。なおトルストイは、清潔な白いシャツが調達できず、探し回っているうちに式に遅れてしまった。このエピソードは後に、『アンナ・カレーニナ』にも挿入されている。

1862年9月23日、レオ・トルストイとS.A.ベルスが結婚式を挙げたクレムリンの生神女誕生教会。
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 式の後、トルストイはすぐに花嫁を寝台馬車に載せて、相続した領地であるヤースナヤ・ポリャーナに移っている。「途方もない幸福だ!この幸福が生涯とともに終わる筈がない!」と、トルストイは日記に書き残した。

レオ・トルストイと妻子、ヤスナヤ・ポリャーナ、1887年
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 これは、「Russky mir.ru」誌の記者と国立L.N.トルストイ博物館「ピャトニツカヤ12番トルストイ・センター」長オリガ・ゴロヴァノワとのインタビューからの抜粋である。全文は同誌サイト上にロシア語で掲載。