モスクワのクレムリンの塔に「星」はいかに現れたか?

イスラエル・オゼルスキー / Sputnik
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それ以前は、クレムリンの塔には、ロマノフ王朝の象徴である「双頭の鷲」が飾られていた。

 モスクワのクレムリンの塔は、かつて「双頭の鷲」を戴いていた。それを五芒星に代える決定は、1935年8月23日に発表された。当時、帝政ロシアの権力の象徴が、国中で破壊されつつあった。ソ連の指導者、ヨシフ・スターリンの承認を得た五芒星は、舞台芸術家のフョードル・フェドロフスキーによってデザインされ、星ごとに独自の意匠が施されていた。

シェラー、ナブゴルツ・アンド・カンパニー/MAMM/MDF/russiainphoto.ru
シェラー、ナブゴルツ・アンド・カンパニー/MAMM/MDF/russiainphoto.ru

 スパスカヤ塔の星では、中心から先端に向かって放射状に伸びる線が描かれていた。トロイツカヤ塔では、光芒は穂のようにも見えた。ボロヴィツカヤ塔の星には、内接する輪郭線があった。ニコリスカヤ塔は、最も控えめな、つまり余分な要素のない星となるように設計された。光芒の先端と先端の間の長さは、3.5メートルから4.5メートルまでと様々だった。

 それらは、高合金ステンレス鋼と赤銅で作られ、金メッキが施されていた。中央の両側には、鎌と槌を象った青銅鋼の枠があり、ウラル産の水晶、アメジスト、アレキサンドライト、トパーズ、アクアマリンといった宝石で装飾されていた。それぞれの石は、金箔を施した銀の枠に個別に収められていた。そして、それぞれの星には、約1300個の宝石がちりばめられており、スポットライトに照らされて輝き、遠くからでもはっきりと見えた。星の設置中に、クレムリンの塔は強化、修復された。また星は、強風が吹くと、風見鶏のように、特別なベアリング(軸受け)上で回転し、さまざまな場所から眺められるようになった。

 しかし、星は、すぐに短命であることが明らかになった。石は、気象条件の影響で色あせてしまった。また、星自体の大きさも、クレムリンの建築群のバランスを損なっていた。そこで2年後、新たな星を制作することが決定された。それは、我々にお馴染みの「ルビーの星」だった。そして、ヴォドヴズヴォドナヤ塔を含む5つの塔に設置された。

マーク・マルコフ=グリンベルグ/MAMM/MDF/russiainphoto.ru
マーク・マルコフ=グリンベルグ/MAMM/MDF/russiainphoto.ru

 フェドロフスキーは新たなスケッチを描き、ルビー色のガラスを提案した。サイズも縮小された。

 新しいプロジェクトによれば、星のベースとなるのは、高品質のステンレス鋼で作られた立体的なフレームだった。外側の輪郭と模様は、電気金メッキの銅で作られ、星のそれぞれの光芒は、多面的なピラミッドの形をなしているという。

マーク・マルコフ=グリンベルグ / Sputnik
マーク・マルコフ=グリンベルグ / Sputnik

 「ルビーガラス」の製造には、特別な技術が必要だった。ガラスは異なる密度をもち、特定の波長の赤色光のみを透過する必要があった。また、急激な温度変化や太陽の輻射熱への耐性も求められた。

 ルビーガラスの製法は、ガラス製造の専門家、ニカノール・クーロチキンによって考案された。彼は、ガラス製造における功績により、国家賞「スターリン賞」を授与された。また、二重ガラスのアイデアも考案した。

 それぞれの星の内側はミルクガラス、外側はルビーガラスでできており、美しい赤い輝きを生み出している(1945年の修復後、ルビーガラスとミルクガラスに加えて、中間層にクリスタルガラスが追加された)。

N. ラフマノフ / Sputnik
N. ラフマノフ / Sputnik

 また、星のために、ユニークな白熱電球も特別に開発された。電球は、耐熱モリブデンガラスで作られていた。

 それぞれの星の内部には、ランプが消えるのを防ぐため、並列接続された2本の螺旋が取り付けられていた。一方の螺旋が切れると、制御盤に信号が送られ、専門家がすぐに切れたランプを交換した。また、星にはランプを冷却し、空気中の塵埃を除去する換気システムも組み込まれていた。

 クレムリンの塔の上には、1937年秋に新たな星が灯り始め、それ以来、消えたのはたった2回だけだ。1度目は大祖国戦争(独ソ戦)中で、塔は保護カバーで覆われていた。2度目は1990年代、ニキータ・ミハルコフ監督の映画『シベリアの理髪師』(1999年)の撮影中だ。

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