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ロシアの美しいシナゴーグ10選
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1. モスクワ・コーラル・シナゴーグ
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1850年代に皇帝アレクサンドル2世はユダヤ人居住区に関わる法を緩和した。1級ギルド商人のステータスを得れば、ユダヤ人は居住区以外に住めるようになった。後にモスクワやペテルブルクなどの大都市には、学者や学生、職人も転居可能になる。
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都市のユダヤ人口は増加を続け、モスクワの共同体の長だったラザル・ポリャコフは市長に礼拝所の建立許可を願い出た。ポリャコフ自身が費用を負担し、1891年に建設は完了。建物の円屋根の頂点は、ダビデの星が飾る。
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反ユダヤ主義がふたたび勢いを増したため、シナゴーグが信徒に門戸を開いたのはようやく1906年になってからだった。しかし、ソ連時代にはまた閉鎖されてしまう。ペレストロイカ後に建物は共同体に返還され、2000年代になってシナゴーグも修復された。モスクワには5つのシナゴーグがあるが、これはその中で最大のものである。
2. モスクワのボリシャヤ・ブロンナヤ通りシナゴーグ
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1883年、モスクワの共同体の長ラザル・ポリャコフの自宅に個人用のシナゴーグとして建設されたもの。1937年にシナゴーグは閉鎖されたが、ソ連崩壊後にハバド・ルバヴィッチ派の共同体に譲渡された。
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現在の建物は非常に面白い構造になっている。建物のメイン・ファサードはガラス張りとなっており、そのガラスの奥に古い時代のシナゴーグの壁と、象徴的に模した嘆きの壁がある。もう1つの独特なデザインは、建物の端の塔で、その窓の部分にはハヌカー用の九皿燭台の装飾がなされている。
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現在、このシナゴーグには3つの礼拝堂と、高等タルムード学校(イェシーバー「マホン・ラン」)、そして20世紀に殺害されたユダヤ人の記念館がある。
3. サンクトペテルブルクの大コーラル・シナゴーグ
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このシナゴーグもアレクサンドル2世のおかげで誕生した1つで、1869年に皇帝が建立を許可した。アラビアン・ムーリッシュ様式のこのシナゴーグは、建設費用の調達と土地の選定に手間取り、さらに建設にも時間がかかったため、ようやく1893年に完成を見た。
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短い期間に閉鎖されたのみで、ソ連時代も活動し続けた。
4. イルクーツク・シナゴーグ
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2018年、イルクーツクのユダヤ人共同体は200周年を迎えた。最初にシベリアにやってきたユダヤ人は、流刑者や懲役囚だった。一方、イルクーツクは宗教的中心地であった。イルクーツクのシナゴーグ、現在ではロシアで最も古い現役のシナゴーグである。
ソ連時代、シナゴーグは長く閉鎖されていたが、ペレストロイカ後にイルクーツクの共同体に返還された。
5. ヴォロネジ・シナゴーグ
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20世紀初頭、ヴォロネジには数千人(1917年時点では6千人以上)のユダヤ人が居住していた。ネオ・ムーリッシュ様式のこのシナゴーグは1903年に建造された。ソ連時代は倉庫として使われ、第二次世界大戦中には爆撃で損傷した。
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ユダヤ人共同体に返還されたのは1997年のことで、その後長い修復の末、建立110周年の年にふたたび信徒に門戸を開放した。
6. サマラのコーラル・シナゴーグ
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19世紀末のサマラにはおよそ千人以上のユダヤ人が暮らしており、彼らは市に大きなシナゴーグの建設を願い出た。1000人を収容する規模の、沿ボルガ地方最大級の礼拝所が1908年に建設された。費用は市の商人たちが負担した。
ソ連時代は文化会館として利用され、1990年代に共同体に返還された。現在は修復作業中で、シナゴーグとしては運用されていない。
7. ニジニ・ノヴゴロドのシナゴーグ
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ロシア帝国の商業の中心地ニジニ・ノヴゴロドには19世紀前半頃には既に多くのユダヤ商人が来訪していた。当時、国内最大の定期市に臨時のシナゴーグが開設されていたほどだ。常設のシナゴーグが建設されたのは1883年のことで、1910年にはさらにもう1つが建設された。ユダヤ人クラブや、イディッシュ語で授業を行う学校も開設された。
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1930年代にユダヤ人はシナゴーグから締め出されたが、ソ連崩壊後に共同体の手に戻った。礼拝所は修復され、店舗とコシェル・レストランが開店した。現在ニジニ・ノヴゴロドには2万人のユダヤ人口がいるが、その4分の1が共同体の活動に活発に参加している。
8. ビロビジャン・シナゴーグ「ベイト・メナヘム」
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ユダヤ人独自の民族地区がソ連の極東地域に誕生したのは1920年代末。現在、ユダヤ自治州のユダヤ人口は1%に過ぎないが、2つのユダヤ人共同体が活動しており、それぞれがシナゴーグを持っている。
ビロビジャン・シナゴーグ「ベイト・メナヘム」は、2004年のユダヤ自治州成立70周年にあたって、共同体「フレイド」が主導して建設された。
9. ブリャンスク・シナゴーグ
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1891年に建設されたこのシナゴーグは、ソ連時代は縫製工場の会館として使われた。2010年代に現地の共同体に返還され、長期にわたる修復作業が始まった。その作業中、壁の開口部に設けられた隠しスペースから古い祈祷書が発見されている。
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2023年にシナゴーグとして活動を再開し、ブリャンスクの共同体に新たな刺激を与えて、文化と信仰の中心となった。
10. カリーニングラードのニュー・リベラル・シナゴーグ
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19世紀当時、まだカリーニングラードがプロイセンのケーニヒスベルクだった時代、この地に現地のユダヤ人共同体のシナゴーグが建設された。しかしナチスが権力を握ると、1938年の水晶の夜に焼き討ちされた。
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2018年、同じ場所に新たなシナゴーグが建設された。外観はかつての姿をベースにデザインされている。ステンドグラスが彩る礼拝室の他、図書館とコシェル食堂も併設されている。