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イギリス王室と最後のロシア皇帝の写真:二人は従兄弟で外見も瓜二つだった(写真特集)
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歴史から(そして Netflix の『ザ・クラウン』の最終シーズンからも)分かるように、ロシアとイギリスの王室は緊密な関係にあり、縁戚関係にもあった。いっしょにポーズをとっている写真もいくつかあり、見るのはすごく面白い。ここにそのごく一部をご紹介しよう。
まずロシア皇帝ニコライ 2 世と英国のジョージ 5 世の瓜二つぶりには、まったく驚かされる!
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二人は従兄弟同士だった(母親は姉妹だ)。
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下の写真は、第一次世界大戦前夜の 1913 年に、ベルリンで撮影された。二人は、ドイツの軍服を着ている。大戦を戦うことになる 3 か国の君主は親戚同士だった。ドイツ皇帝ヴィルヘルム 2 世は、英国王ジョージ 5 世とニコライ 2 世の妻アレクサンドラ皇后の従兄だった。
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ロシア最後の皇帝、ニコライ 2 世は、英国王室との関係が最も緊密だった。彼は、ヴィクトリア女王の孫娘アレクサンドラと結婚している。1896 年 9 月、ロシアの帝位に就いたばかりのニコライ 2 世は英国を訪問し、スコットランドのバルモラル城にヴィクトリア女王の客として滞在した。ニコライは、馬車に乗るヴィクトリア女王の左わきに立っている(写真中央)。
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下の写真では彼らがいっしょに写っている。左から:ロシア皇后アレクサンドラ・フョードロヴナ、その娘の幼い大公女オリガ、ニコライ2世、英国のヴィクトリア女王、そして英国のエドワード皇太子(後のエドワード7世)。
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興味深いことに、ハリー王子は結婚式の日に、ニコライ 2 世が着用していた制服に酷似した軍服を着ていた。英国の近衛騎兵連隊ブルーズ・アンド・ロイヤルズの制服だ(ニコライ2世は、ロイヤル・スコッツ・グレイズに非常な感銘を受け、そのカーネル・イン・チーフの正装の姿で様々な行事に臨んだ)。
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ヴィクトリア女王は「ヨーロッパの祖母」と呼ばれていた。彼女には 9 人の子供と多数の孫がおり、その中にはロシア皇后と英国王ジョージ 5 世だけでなく(これはまあ当然だが)、ドイツ皇帝ヴィルヘルム 2 世、その妹であるソフィア(ギリシャ王妃)、マリア(ルーマニア王妃)、ヴィクトリア・ユージェニー・オブ・バッテンバーグ(スペイン王妃)などがいた。下の写真では、ヴィクトリア女王が子孫たちの一部といっしょに写っている(ロシアのアレクサンドラ皇后とニコライ 2 世は、女王の左側に立っている)。
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こうした近親関係から、不幸にして、欧州の王族の間に血友病が広まった。ニコライ 2 世の帝位継承者、幼い皇太子アレクセイも、この病気に苦しんでいた(アレクセイをある程度助けることができたのは「怪僧」、グリゴリー・ラスプーチンだけだった)。
ロシアのロマノフ家と英国王室は近親関係にあり、親密な友情で結ばれていた。絶えず文通し、いっしょに時を過ごすこともあった。1909 年、ニコライ2世は再び訪英した。ロシアの皇帝一家はヨットでやって来て、ワイト島で過ごした。
この年、ロシアの皇帝夫妻は、 5 人の子供とともに訪英した――4 人の娘と一人息子のアレクセイ皇太子を連れて。ヴィクトリア女王は、この時までに亡くなっており、ニコライ2世は、英国王エドワード7世と、従兄である将来のジョージ5世に会った。
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下の写真では、二人の従兄弟が(左がニコライ2世で、右が将来のジョージ5世だ)、それぞれの息子たちとともに写っている。左がエドワード王子(後のエドワード8世)で、右がアレクセイ皇太子だ。
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ロマノフ家とウィンザー王朝のつながりは、1917年のロシア革命の後も、ある程度残った。ロシア皇帝アレクサンドル 3 世の妻でニコライ 2 世の母だったロシア皇太后マリア・フョードロヴナは、英国王エドワード 7 世の妻、すなわちアレクサンドラ・オブ・デンマークの妹だった。
1919 年 4 月、英国の戦艦「マールバラ」に乗って、皇太后マリアは、甥のジョージ 5 世の治下の英国に難を逃れ、そこから間もなく故郷デンマークに帰った。ジョージ 5 世がニコライ2 世とその家族を救出しない決断をし(当時のロイド・ジョージ首相が皇帝一家の亡命を拒んだという説もある)、皇太后マリアを避難させたことは、彼らの親戚の歴史の中で最大の悲劇の1つだ(これはNetflix の「ザ・クラウン」の新しい第 5 シーズンのサブプロットの 1 つでもあった)。
下の写真は、左からジョージ 5 世、アレクサンドラ王太后、ロシアの皇太后マリア、メアリー王妃。ウェストミンスターの聖マーガレット教会前だ。 1923年に彼らは、ヘンリー・サマセット(第10代ボーフォート公)とケンブリッジ侯爵令嬢メアリー(メアリー王妃の姪)の結婚式に出席した。
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